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【第69回】のろまなカメの爱し方の巻(Act.41)【警告】长いです。とっても长いです。携帯电话からのご利用はあなたの健康を损ねる危険があります。ディスプレイでご覧になる方も、数回に分けて読むか、1项目ごとに目を冷やしたり、外の景色を见るなどして目を休めながら読むことを推奨します。
1. イドウの季节 春が近づくと、学校は进级や卒业を控え、一般社会では人事の异动や、それに伴う住居の移动なんかもあって、なんとなく落ち着かない。『M14の追忆』も、最近は日付変更线にブレが生じて、更新日が微妙に行ったり来たりしている。ikidomariさんは、再放送の终了を待たずして関东方面に引っ越されるという。残念である。私自身にも、もうすぐ何か异动がある(かも知れない)。そういう话を、闻きたくもないのに职场で耳打ちしてきた人がいたのだ。その内容というのが、ちょっと気が重くて。 いや话题を変えよう。今回、Act.41の初めの方に「理科の加藤先生」が登场する。佐藤健光监督が、Act.29、Act.30に登场させたオリジナル・キャラクターだ。もちろん今回もケンコー监督。これが最终ターン、4巡目でトータル7本目の演出となる。 こっちの世界は、いよいよ夏休みだ。终业式が终わった帰り路、うさぎは亜美ちゃんの成绩表(当然オール5)を见て「さすが亜美ちゃん。私もがんばらなきゃ!」と気合いをいれる。Act.2の模试の顺位発表のとき(亜美ちゃんは当然1番、なるちゃんが15番、うさぎの顺位は分からない)「あ~、またママに怒られるんだろうなあ」なんてしゃがみこんでいたのを思い出せば、前向きになりました。成绩はオール2だけど、人间的には成长しました。 で、そこへ后ろからやって来た加藤先生が声をかけるのだ「おお、月野、心配するな。いつでも补习やってやるからな!」白衣にボール箱を抱え、ぱたぱたさせている扇子にはなぜか「长生き」の文字。うさぎはちょっと引き気味。 この加藤先生を演じているのは、実写版チーフ助监督の加藤弘之氏である。ビデオ『Act.ZERO』では、オマケのミニドラマ『タキシード仮面诞生の秘密』の脚本と监督を担当している。またAct.9で剧中のテレビ番组に出てくる「银水晶の想像図」や、Act.10でうさぎがルナに「かぐや姫」のお话を语って闻かせるときのイラストを描いているのもこの人だ。さらには、次回以降で物语のカギとなる「エンディミオンの部屋の风景画」も実はこの人の作だ。イラストレーターとしての名义は「时计屋」という。ただ実写版以外でもこの名前を使っているかどうかは知らない。 それはともかく、加藤氏はかつて『ビーファイターカブト』(1997年)、『ビーロボカブタック』(1998年)、『燃えろ!!ロボコン』(1999年)といった日曜朝の特撮シリーズで、ずっと助监督をつとめていた方だ。そして最后の『燃えろ!!ロボコン』の最终クール直前にチーフ助监督から监督に升格し、全部で5本を演出している。しかしロボコンの后番组として始まった『仮面ライダークウガ』(2000年)では1本も监督をやっていない。理由は分からない。 一方、加藤氏の后辈で、『燃えろ!!ロボコン』ではまだチーフ配下の助监督の一人だった铃村展弘氏は、対照的に『仮面ライダークウガ』でチーフ助监督に抜擢され、第17话(総集编でしたが)で监督デビュー。以降は『アギト』以下すべてのライダーで监督をこなし、着実にキャリア・アップして実写版セーラームーンの监督ローテーションに加わった。そしてそのセーラームーンの现场には、かつての先辈、加藤弘之が、自分の下ではたらく助监督として配属されていた、と、つまりそういうことになる。一种の入れ替え人事だ。铃村监督、元上司を部下として使う立场になっちゃったわけで、これはけっこうストレスあったんじゃないかなあ。なかなか使いづらいですよ。 今回は铃村监督の回じゃないんですが、私はある理由から、最近になって急にそのことを亲身になって考えているので、この理科の加藤先生の登场には、ちょっと物思いにふけってしまったのである。というわけで、実はちっとも话题が変わっちゃいないのでした。いやプライベートなグチですまない。本题だ。
2. 河辺さんおめでとう、そして、さらばひこえもん 日、深夜2时15分、Act.41再放送。下校のシーンの话から続けますね。 理科の加藤先生がうさぎたちから离れると、それと入れ替わりに、なるちゃんが追いかけて来る。うさぎと亜美に追いついて「ねえねえねえねえ、夏休みの宿题さあ、あれどうするボランティア、何すればいいのかさっぱり」「だよねー」。とても短いシーンですが、この时、追いついたなるちゃんが、自然な感じで亜美の肩に手をかけるのが良いですね。 Act.16でいちおう确执に决着がついてから以降、亜美となるの関系がどんなふうになっていったかは、具体的にはあまり描かれていなかった。ただ、Act.30では、黒木ミオの计略でクラスの仲间はずれにされたうさぎに、亜美となるだけが味方していた。そして、二人で相谈して、などというシーンはなかったが、たとえば、亜美がうさぎに付き添い、屋上で一绪にお弁当を食べている间、なるは黒木ミオと直接、话をつけようとしている、というように、そこには一种の暗黙の协力体制というか、连携プレーが生まれていた。そんなところに、我々は、うさぎを通じてこの二人に信頼関系ができあがりつつあることを感じていたわけだ。そして今回、亜美となるとうさぎは、ごく自然に、一绪に歩いている。亜美もうさぎ以外のクラスメイトと、普通に「友だち」になれるようになってきたんだな、と思うととても嬉しい。そしてそうなれたのは、多分うさぎよりも、むしろなるちゃんのおかげだと思う。 というわけで久々のなるちゃんだ。そしてそれにあわせるかのように、今回は周末が河辺さんの诞生日にあたるので、私は先周、舞い上がってしまった。しかし改めて再放送を観ると、今回の主人公は明らかにまことであり、なるちゃんに関しては、このAct.41はまだ次回への前フリに过ぎない。うっかりしてたなあ。 ともかく、河辺千恵子さん、お诞生日おめでとうございます。去年はなにかと色々たいへんでしたが、今年はどうか、良い年になりますよう。 本当は女优としての活跃にも、もっと期待したいところなのですが、何よりもまず、本业とされる音楽の世界で、新しい曲を、そしてセカンドアルバムをリリースされることを念じております。えーと、こんなことを言うのは何ですが、歌声は表现力に満ちて、とても魅力的で、聴いていて元気が出るし、ご自分で作词された歌词もステキですから、あと课题は作曲家だよな。 歌いたい曲のイメージがある、そのヒントとして洋楽がある。まず、自分がどんな感じの音楽をやりたいか、既成曲のカバーや、はっきり元ネタが分かるような曲で具体的に示してみた。ファーストアルバムはそんな印象でした。それを「パクリ」とか「オリジナリティの欠如」とか言う人もいたが、私は新人の「パクリ」を、それほど悪いこととは思っていない。お手本をもたず、先行ランナーから何も学ぼうともしない怠惰さを「オリジナリティ」という言叶でごまかすより、目标とする人をもち、そのコピーから始まって、そこから多くを盗む方がはるかに真面目な态度だし、そういうアーティストの方が、学习しだいで、次第に豊かな独创性を発挥していく可能性をもっている、そう思うからです。 そして昨年リリースされたシングルのカップリング曲「シマウマノヨル」を聴いていると、あなたが自分の音楽世界を広げ、オリジナルな方向へ一歩、踏み出そうとしている、そんな意欲を感じます。余计なお世话かも知れないが、そのためにいま欠かせないのは、曲作りの面からあなたの梦をサポートしてくれる强力なパートナーだと思う。いい作曲者に、どうかめぐりあえますよう。ともかく、本当のチャレンジはこれからだ。顽张ってください。 以上で祝辞を终え、本题に戻ります。さてそんなわけで、実写版の世界は今回から夏休みに入る。だから学校がらみのシーンも、あとは确かAct.45の登校日と、それから最终回だけだったと思う。でもAct.45は、せっかくの登校日なのに、欠席者が多い。メタリアのせいで、世间に「ぬけがらみたいになっちゃう人」がどんどん出てきて、生徒の中にもそういう子が沢山いる、という设定なのだ。なるちゃんもまだ入院中で、知った颜と言えば、カナミとモモコとうさぎと亜美、それに春菜先生だけだったと思う。もちろん黒木ミオもいない。ひょっとしたらミオは、卫のお目付役をする都合上、学期が终わった时点で転校届けを出しちゃったのかも知れないね。わずか二、三ヶ月の在籍ということになるが、芸能人だからいくらでも言いわけできる。 いずれにせよ、我々视聴者の立场から言えば、黒木ミオにはまだ会える。なるちゃんは今回と次回の、実质的には最后といっていい出演で、重要なパートを演じる。しかし山本ひこえもん君にはもう会えない。今回の下校の场面にも、Act.45の登校日にも出ていないのだ。Act.30 で、黒木ミオ亲卫队の男子代表としてうさぎをにらみつけていた、あれが彼の最后の出番だったのだ。 失败したなあ。ちゃんとAct.30の时にひこえもんに别れを告げておくべきだった。さようならひこえもん。君は一体、何だったんだろう。
3. ネフライト、戦士と出会う さて次はクラウンだ。カメ吉にエサをやりながら话しかける元基。こちらも夏休みがとれるみたいである「カメ吉、今年の夏休みは一绪にどこへ行こうか。 お前のふるさと行くか。で、どこだよ?」。 そのかたわら、ネフライト改めネフ吉は、愤懑やる方なく、意味もなくわめきながらモップで扫除している。思わず元基が「ネフ吉くん(台本ではたぶん今回も「ネフきっちゃん」违うかな)そんな力を入れないでさあ」と声をかけると、「その呼び方はよせぇ!」とくってかかる。「分かった。ほかの考えるから」と、なんとかなだめようとする元基。 とその时、客の気配にハッとしたネフライトは、いきなり店の奥に向かって逃げ出す。もちろん元基は追いかける「ちょ、ちょっとどこ行くの、まだ终わってないでしょ」「离せ!」 「こんにちは~」と入ってきたのはうさぎと亜美だ。ネフライトを见て、彼が谁であるか気づいた様子はぜんぜんない。これが以前は不思议だった。なぜ前回、卫は入ってくるなりネフライトだと分かったのに、うさぎも亜美も、それから、この后にやってくるまことも、彼が谁か気づかないのだろう。ひょっとして気づいた上で、とぼけているのか? しかしその疑问は前回の日记に书いたとおり、M14さんにいただいたAct.40台本を読んで解けた。台本にはその前に、ゾイサイトがマスターに頼まれてネフライトの居所を捜しているシーンがあったのだ。卫は、すでにネフライトがここにいると知ってやって来た。だからすぐ気づいたのである。普通だったら分からないのだ。 うさぎに「新しいバイトの人?」と寻ねられ、元基は「ネフ吉」に代わる名前をとっさにひねり出す「うん、名前はね、ネフリン」ぷっと吹き出すうさぎと、「駄目だよ、笑っちゃ」と必死にこらえる亜美。逆上するネフライト。 「ネフリン」と闻いても、うさぎたちが「ネフライト」を连想した様子はぜんぜんない。これは不自然ではないのか?いやいや、そうでもない。実写版の世界では「名前で正体はバレない」という厳然としたルールがある。だからAct.14の最后で、マーキュリーが涙ながらに「うさぎちゃんを、返して!」とクンツァイトに诉えても、谁も「登场したばかりの敌の干部に、いきなり仲间の本名を教えてしまうなんて、アブナイよ」とは突っ込まないし、Act.23で、ミニライブで「桜・吹雪」を歌い终わったマーズが戦いの场に駆けつけたとき、セーラームーンはネフライトの前で、平気で「レイちゃん!」と叫んだのだ。 最初は私も、そのルールが分からなかった。Act.4の最后で、ビルから落ちたセーラームーンとタキシード仮面が、ムーンスティックから放たれた光に包まれて、ふわりと着陆する。そこへマーキュリーが「月野さん!」と叫びながら駆けつける。おいおい、タキシード仮面がすぐそこにいるのに「月野さん」はないだろう、初放送を観た时はそう思った。案の定、すぐ次周のAct.5で、地场卫はうさぎのネームプレートを见て、うさぎの本名を知ってしまう。ところが卫はそこで「月野こぶた」と小马鹿にするだけで、苗字の一致に気づいたような様子はまったくない。で、Act.7で、うさぎの変身现场をモロに见て「あいつが、セーラームーン」と心底びっくりしているのだ。なるほど、名前の一致は、正体を特定する手がかりにはならない。この世界にはそういうお约束があるのだな、と纳得した。 话を戻して、だから逆に、ここで「ネフリン」と闻いたうさぎたちが、ネフライトを连想しなくても、当然だと思う。
4. ネフライトは知っていた?(问题提起篇) というわけで、クラウンに入ってきたうさぎと亜美は、「ネフリン」がネフライトであるとは気づいていない。しかしネフライトの方はどうなのか?という疑问は残る。ネフライトは、彼女たちがセーラームーンとセーラーマーキュリーであると、一目で気づいたのか、そうではないのか。 うさぎに「新しいバイトの人?」と寻ねられた元基が「うん、名前はね、ネフリン」と答えるまでの间、カメラはネフライトを后ろから捉えている。だからこの时のネフライトの表情が分からない。単に隠れようとしたのにモロにお客と颜を会わせてしまって、羞耻やら元基への怒りやらで固まってしまっているのか、「こ、こいつらセーラー戦士じゃないか、でもオレに気づいてないのか?」という惊愕で动きが止まってしまっているのか、どっちなんでしょうか。どっちをとるかで、この少し后に出てくる、ダーキュリーを回想するシーンの意味は、だいぶ変わってくる。 うさぎが、まことと元基をくっつける计画を思いつく。そこで亜美がクラウンに行って「児童馆の裏に新种のカメが出现した」という、元基を引っ张り出すためのデマを伝える。计略どおり、喜々としてサファリルックと捕虫网をもって飞び出す元基。一方的に留守番を頼まれたネフライトは、再びかんしゃくを起こしてタンバリンなどを散らかしてしまう。 で、后始末を、亜美が手伝ってあげるんだが、その亜美の后ろ姿に、ネフライトは、かつてダーク・キングダムの洞窟で、ダーキュリーに情けをかけられたときのことを思い出すのだ「そんなふうに独りでいられるの、何だか好きじゃないの」(Act.24)。そして「ぶざまな!」と、いたたまれなくなった様子で、その场を逃げ出すのである。あとはたぶん、亜美が一人でお片づけしてくれたのだろう。 これはつまり、ネフライトはやっぱり亜美がマーキュリーであると最初から気づいていて「あの时と同じように、こいつに怜れみをかけられた」と回想している、という意味に理解できる。しかし一方で、亜美という初めて会った少女に、なぜか、かつてベリルに见舍てられた自分に怜悯の情を示したセーラー戦士の面影を见てしまい、あの时の屈辱を思い出し、ますます落ち込んでしまった、と解釈しても、一向に不自然ではない。どっちなんでしょう。 ひょっとすると台本のト书きには、クラウンに入ってきたうさぎと亜美に钵合わせした瞬间の、ネフライトの表情や、その意味するところがはっきり书いてあるのかも知れない。だとすれば、少なくとも小林靖子がどう考えていたかは分かる。Act.41の台本は、M14さんが先日、落札されたので、どう书いてあるか教えていただけるかも知れない(教えてください)。ここでは、どっちの场合でも合理的な说明が可能であることだけ书いておく。
5. ネフライトは知っていた?(仮说1) まず常识的に考れば、ネフライトは気づいていなかったと思う。さっき触れたAct.7の卫の态度ではっきり示されているように、セーラー戦士たちはふつう、変身する瞬间を见られでもしない限り、正体バレはしない。Act.2の亜美は、セーラームーンを见てもすぐにはうさぎだと分からなかった。「亜美ちゃん、大丈夫?」と呼びかけられて初めて、自分をそんなふうに呼ぶのは「もしかして、月野さん?」と思い当たる。Act.6の「まこちゃん」もたぶんそうだ。仲间の戦士たちですらそうなのだから、ネフライトに分かるわけがない。そういうことですね。 しかし前回、ネフライトは入ってきた普段着の卫を见て、一発でマスターだと気づいた。彼には何かそういう特殊な力が、まだ残っているのだ。だから今回もうさぎと亜美を见て、すぐに気づいたはずだ、と思われる方もいるかも知れない。 でもそれは违う。そもそもネフライトは、Act.32のアヴァンで、ゾイサイトがロンドンから召唤した「普段着の」卫に向かって「お前がマスター・エンディミオン」と言っているのだ。 それに、ついでに言っておくと、卫=エンディミオンは、実写版の中では唯一、変身しても正体を隠せない人物である。同じAct.32のラストで、卫は日本に帰って来て、妖魔に袭われているうさぎのピンチを助ける。このとき初めてエンディミオンの衣装に身を包んで白昼堂々姿をあらわすのだが(回想シーン除く)その颜を见たとたん、うさぎは目をまるくして「ウソ、ほんとに…」とつぶやく。すぐに卫だと分かるのだ。まあカツラもしてないしね。だから元基がエンディミオンを见たら「卫なにやってんの?」と闻くだろう。さらに言えば、Act.36のベリルの、うっとりとしたまなざしから察するに、卫=エンディミオンは前世のころとも寸分たがわぬイイ男なんである。この人は唯一、前世でも现世でも変身しても、谁でもそれと分かる「同じ颜」をしているのだ。 と、それは余谈だが、いずれにしてもネフライトが前回、マスターを见てすぐに分かったのと、今回とでは事情が违う。そしてネフライトが、うさぎたちを见るなり、それがセーラー戦士であると判别できるような特殊能力を、まだそなえているとは、なかなか考えにくい。かれはベリルによって、四天王としての能力をすべて夺われ、普通の人间として再生したのである。じゃあ、次回だったか次々回だったかで、中途半端に力が戻りかけたような描写があるけど、ありゃ结局なんだったんだと思われる方もいるだろうが、私にだって分からないよ。いちおう考えてはみるつもりだが、分からなかったら、风吕场でルナを见てしまった进悟のように「见なかったこと」にして话を进めるつもりなので、ひとつよろしく。 ともかく、そういうわけだから、ネフライトが、ここでうさぎと亜美を见て、ノーヒントで「あ、こいつらセーラー戦士だ」と気づいたとは考えられない。これが第1の仮说である。
6. ネフライトは知っていた?(仮说2) しかし、その场で気づけるはずはなくても「ネフライトは前から知っていた」という可能性はある。だいたいダーク・キングダム势は、だいぶ前からセーラー戦士の正体に気づいている。 まずジェダイト。彼なんか、Act.1でもう知っていたんじゃないだろうか。うさぎの记念すべき初変身シーンを思い出していただきたい。「ムーンプリズムパワー・メイクアップ!」で変身、ここでBパートが终了、コマーシャル。そしてCパートの冒头では、それを物阴から见ていたジェダイトが「セーラームーン、何者だ?」とつぶやく。间でパートが分かれちゃっているので、ジェダイトが、うさぎが変身するところをズバリ见ていたかどうかは、断言できないが、その可能性は高い。そうだとすれば、ジェダイトは前半で人间姿のときに、娘の亲友としてなるのママに挨拶するうさぎを见ているのだから、身元の特定は简単だ。 また、たとえそうでないとしても、彼は黒木ミオ计画の実行犯であるから、少なくともミオをうさぎの同级生として十番中学に送り込んだ时点では、もうかなりのことを知っていたはずだ。ジェダイトが黒木ミオ计画のことをベリルにほのめかすのは、Act.27である。「それを调べるにはプリンセスに近づく必要があります。この件すべてお任せください」。 次がゾイサイト。彼は初登场のAct.6からセーラーVに目をつけていて、Act.8では、どういうチューニングの仕方か知らないが、セーラーVに「心を合わせ」、その居场所を突き止めてナコナココンテストに妖魔を送っている。あとはストーカーのファンのように美奈子を追い、Act.10のラストで、ロンドン帰りの彼女に攻撃をしかけるのだ。こういう能力があるのだから、いつでもうさぎたちの正体は知ることができたはずだ。Act.35では、美奈子にオルゴールを渡し、后半では、美奈子がうさぎを引き留めている场に姿をあらわし「今はマスターを助けるのが先だ。プリンセスを放せ」と言っている。うさぎがセーラームーンでありプリンセスであることはとっくに承知済みだ。 クンツァイト。Act.13で「シン」としてうさぎと卫に出会い、同じエピソードのラストでは、クンツァイトとして、セーラームーンおよびタキシード仮面の前に姿をあらわす。この时、2人の正体に気づいていたかどうかは分からないが、次のAct.14で洞窟に拉致したうさぎは変身前の姿であった(髪型は违うけど)。そしてタキシード仮面とは「どうやら本当にシンという男は消えたらしいな」「最初からいないのだよ」と会话を交わしているので、少なくともこの段阶で、セーラームーンとタキシード仮面の正体は分かっているのだと思う。そしてAct.20では「変身前の」亜美の前に登场する。すでに水野亜美がマーキュリーであることをとっくに知っていた口ぶりである。その「手に入れるならお前がいいと思っていた」というセリフに「オレも」と思った人は少なくないだろう。 要するに四天王の面々は、だいたい话がダーク・マーキュリー篇に入ったころには、セーラー戦士の変身前の姿や身许について、かなりのところまで情报を得ていたはずだ。じゃあどうして、拠点となるクラウンに一回たりとも総攻撃をしかけなかったのか。分かりませ~ん。きっとクラウンの周囲には、シールドというかバリアというか结界が张られていて、なかなか侵入することができなかったのだ。 ところが肝心のネフライトが、このAct.41まで、というよりも、Act.36で四天王を除名になるまでの间に、うさぎたちの変身前の素颜や身许を知っていたのかどうか、それがはっきりとは分からないのである。 そもそもベリルは、当初ジェダイトにエナジー集め、ネフライトに银水晶さがしの役割をふっていた。そしてAct.12でセーラーVが、自分がプリンセスで银水晶の持ち主である、と宣言してから、ネフライトはなんとか银水晶を夺い取ろうと、ひたすらヴィーナスを追っていたのだ。Act.19の最后にヴィーナスを踏みつけにしたあたりが、彼の四天王人生のピークであろう。しかしそれでも成果は得られず、Act.23で起死回生を计るが、覚醒したマーズにやられて、Act.24でついにベリル様に见舍てられてしまう。とにかくずーっとヴィーナス狙い。あとの4人に対する関心は二の次だった。そんなネフライトが、うさぎや亜美や、まことの素颜を知っていたか、となると、怪しいなあ。 でも、たとえ自分の力では调べがついていなかったとしても、四天王の仲间の谁かから教えてもらっていた可能性はある。そう考えた场合には、彼は今回、クラウンでうさぎと亜美を见た瞬间から、それがセーラー戦士だと気づいてたのだけれど、相手が気づいていないみたいだったので黙っていた、ということになる。これが第2の仮说だ。 ふう。疲れた。検证おわり。 で、私个人としては、どちらかというと第1仮说の「気づかなかった」という方を采るな。ご存知のとおり、四天王はお互いそんなに仲が良くないし、みんなネフライト马鹿にしてたもん。自分の情报をおいそれと落ちこぼれに横流しして助けてやるなんてこと、しそうにないじゃないですか。ゾイサイトは案外いい奴なので、教えたとすればこいつだと思うが、さあどうだか。
7. 変身が分ける明と暗 ネフライト问题の考察に思わぬ手间がかかってしまった。しかし少なくともあと2点だけは触れておかなければならない。私も疲れたがみなさんもお疲れでしょう。まあ无理はなさらず、よろしかったらおつき合いください。 ひとつはカメラワークだ。佐藤监督は、决めポーズのスローモーション&リピートとか、ご存知ヘリの効果音とか、何か必ずギミックを持ち出すが、今回は、お前は深作欣二か!と言いたくなるくらい(ウソだが)かなり大胆に手持ちカメラによる撮影を导入している。その手持ちカメラ映像は、さっきのクラウンのシーンからすでに见られるが、とくに舞台が「十番児童馆」に移ってからの流れのなかで、なかなか见事な効果を発挥している。 夏休みの宿题で何かボランティア活动をしなければならないうさぎたちは、クラウンで待っていたレイに「私たちにできるボランティア、ないかなと思って」と相谈する。それで、たぶんレイの绍介で「十番児童馆」という保育园というか幼稚园のようなところで、一日子どもたちの面倒を见ることになったのである。ロケ场所は、特撮もので时おり使われている板桥区の「きよみ幼稚园」。参加メンバーは十番中学のうさぎと亜美とまことと、それからなるちゃん。先 生「さあみんな、今日は中学生のお姉さんたちが、一绪に游んでくれますよ。ほらショウタ君、部屋のなかで虫捕りしないっ!みんな、今日は新しいお友だちができたと思って、思いっきり游んでもらってね~!」一 同「よろしく~!」 という具合で、4人はなぜか着ぐるみに着替えて子どもたちの相手をする。うさぎはもちろん、ピンクのうさぎ、亜美は青いペンギン、まことは绿のカメ、そしてなるは、大阪のおばちゃんみたいなヒョウ柄。 以下、今回の话の流れをざっとまとめておく。いまのセリフのなかで先生に怒られていた「ショウタ君」が、いつの间にか虫を捕りに外へ出て行ってしまう。一方、亜美はうさぎの指図で児童馆を抜け、クラウンに行って元基を呼び出し、さっき书いたようにそのままクラウンでネフライトのお片づけを手伝う。 うさぎは、新种のカメがいると闻いてやって来た元基と、カメの着ぐるみのまことをくっつけようとするが、あえなく失败。その时、児童馆にショウタ君がいないことが発覚する。うさぎたちが手分けして外に捜しに出ると、街ではメタリアにエナジーを吸い取られた人々がばたばた倒れている。 混乱のなか、まことは街で再び出会った元基と一绪にショウタ君を捜し、川岸で无事保护。虫を捕ろうと木の上にのぼったまま降りられなくなっていたのだ。だがほっとして帰ろうとした三人の前に、エナジーで力を得たメタリアの泥妖魔たちが姿をあらわす。一方、游园地でショウタ君を捜していたうさぎとなるの前にも、同じく泥妖魔が出现。そしてとうとう、うさぎはなるちゃんを、まことは元基を、袭いかかってくる妖魔から守るために、それぞれの目の前で変身することを余仪なくされる。 このように、今回はまず児童馆で、やんちゃな子どもたちと游ぶうさぎたちのシークエンスがあり、次にショウタ君の失踪騒动と、エナジーを夺われて倒れる街の人々、というふたつの事件が重なって、全体的に慌ただしく物语が进む。それを佐藤监督は、ハンディカメラでスピーディーに追いかけるのだ。そしてその始终ブレ気味に动きまくる画面は、元気いっぱいな子どもたちに振り回されるうさぎたちのドタバタぶりや、いきなり袭いかかってくる泥妖魔との戦いに、活剧的な跃动感を与えている。なるほど、それで手持ちカメラか、とまずは纳得する。 しかし徐々に、今回ハンディカメラが使われている理由が、それだけではないことに我々は気づかされる。泥妖魔に袭いかかられ、変身して戦いたいのだが「どうしよう、なるちゃんと一绪じゃ変身できないよ」「今変身したら、元基君に……」心の中でつぶやくうさぎとまことの表情のアップ。それもまた绝えず不安定に动く手持ちカメラで映し出される。つまり「大切な人たちの前で変身する」状况に追い込まれていく彼女たちの揺れる心理が、文字どおり画面の「揺れ」として映像的に表现されてもいるのである。このへんの演出はすばらしいと思う。これでヘリの音さえ入れなきゃねえ。 さらに注目すべきは、まことの変身だ。元基は「まこちゃん、この子连れて逃げて」とショウタ君をまことに托し、泥妖魔に立ち向かっていく。その果敢な姿を见たまことは意を决して「ここに隠れて」とショウタ君を茂みの中に隠すと、泥妖魔にやられて倒れ込んでいる元基の目の前で、ついにセーラージュピターに変身する。ここでBパートが终わってCパート。するとご存知セーラームーン七不思议のひとつで、さっきまで夕方だったのがいきなり夜になっている。そんなに长时间、ショウタ君を放ったらかしでいいのかよ、という心配はあるが、暗暗のなかで炸裂するシュープリームサンダーを効果的に见せるためには仕方がない。 それにこっちは地上派放送ですからね地上放送。この间にちゃんと「きらきら研修医(番组予告)」→「なつめぐ堂(何か若槻千夏の番组の予告)」→「本格芋焼酎 天孙降临」→「春山のスーツ」→「アーク引っ越しセンター」→「高须クリニック」→「すまいの一番」→「キャベジンS」→「ヒーローズ(格闘技の)」→「マスク(メーカーをメモし损ねた。花粉症対策か)」とCMがたっぷり入っているので、场面がいきなり夜になっていてもそんなに违和感はない。DVDで鉴赏しているとそうは行きませんでしょうなあ(优越感)。 で、ここから先、つまりジュピターが変身してから后、これまで手持ちカメラで动き回っていた画面が、ぴたりと止まるのである。いやまったくの固定画面になるというわけでもないのだが、遥か后方、桥の向こうに强力な光源を据えた暗暗でのアクションは、急にあたりが静まりかえったような印象を与える。その静寂のなか、あっさりシュープリームサンダーで敌を歼灭させ、呆然とした表情の元基を振り向くジュピター。 一方、セーラームーンの方も、手持ちカメラはこの辺でおしまいになるが、短いカット割りとズームやパンを多用しながら、まだまだアクションが続き、画面が静かに落ち着く気配はない。もちろん、こっちの方は泥妖魔が合体して别な妖魔になり、プリンセス・ムーンが覚醒して、大がかりな火薬ボンボン、という展开になるのだから当然といえば当然だが、それにしても対照的である。そしてそのコントラストが、うさぎがなるの前で変身したことと、まことが元基の前で変身したことの意味の违いを、くっきりと际だたせている。ほとんど明と暗を分けたと言ってもいい。 うさぎは、本当はなるの前で変身することを、心の底では望んでいたんだと思う。自分がセーラー戦士になったときから、うさぎは大亲友のなるちゃんに隠し事をしなければならなくなった。そのために、亜美となるの対立まで招いてしまった。それはうさぎのような子にとって、とても心苦しいことだったのだ。だって本当は、たとえすべてを打ち明けたところで、决してなるちゃんが、态度を変えてうさぎを避けたり、秘密を言いふらしたりするような子じゃないことは、谁よりもうさぎ自身が分かっているのだから。そんなふうに亲友を信じることができるのがうさぎで、その気持ちに応えることができるのがなるで、二人はそういう友情で结ばれているのだ。 だからうさぎにとっては、変身したことがマイナスになっていない。むしろ「これで隠し事はなくなった」という吹っ切れた気持ちが「こうなったら、大好きななるちゃんを绝対に妖魔から守ってみせる」という気迫につながり、アクションをよりシャープにさせている印象すらある。くるくる回って空気投げをしたり、『けっこう仮面』の「おっぴろげジャンプ」とカカト落としを合わせたような、たまらさんだったら何と名づけるのかドキドキするような技を缲り出して、とにかく激しく、勇猛果敢に戦いを挑んでいるのだ。その结果、势い余ってプリンセス・ムーンの力を再び开放し、なるを伤つける结果になってしまったのではあるが。 一方、まことにとっては、元基の前で変身したことは「终わり」を意味していた。まことは、自分には前世の使命があるから、普通の女の子として、恋なんかしてはいけないと思っている。でもそれは、恋に臆病な自分の心をごまかす言いわけに过ぎなくて、本当はとても元基君に、というか、女の子らしく男の子と恋爱をしたいという気持ちに心を惹かれている。だから、いったん元基の告白を断った后も、彼の前にいると、ほんのちょっとの间だけ戦士でいることを忘れて、恋人同士みたいな気分を味わったりして、そしてとても切ない気分になっていた。 でもそんな疑似恋爱も、もう终わりだ。元基君の前で変身してしまった。私がつきあえない、本当の理由を元基君は知ってしまった。これで元基君も、いままで色んな人がそうだったみたいに、私から离れていくだろう。终わりだ。いつも、最后は一人だ。でもそれが戦士として引き受けなければならない运命なんだ。 まことにとって、元基の前で変身したことは、最后の淡い恋心への、完全な决别を意味している。変身した后のジュピターは、その深い丧失感のなかで戦っている。だから今回のジュピターの戦いは、セーラームーンとは対照的に、とてもやるせなく、もの悲しい。具体的に言うと、セーラームーンが泥妖魔を倒しに自分から打って出るのとは逆に、ジュピターは、泥妖魔の攻撃をいなして、かわしている。回転したりパンチを出したりしているが、それはすべて基本的に、攻めの攻撃ではなく、袭ってくる泥妖魔に対する受身の攻撃になっている。そして最后に、ほとんど仕方なく、といった感じで伝家の宝刀シュープリームサンダーを放ち、一気に歼灭するのである。 明と暗とに分かれた二人の戦士の感情の流れが、両者の変身后のアクションの変化によって、鲜やかに画面に映し出されている。いろいろ言われる佐藤监督だが、やっぱり素晴らしいよ。
8. パパは何でも知っている そんなわけで、このAct.41は、まことが元基の告白を拒绝したあのAct.31に続くエピソードであり、今回の変身によって、まこと=ジュピターはより一层、孤独の渊に追い诘められる。Act.31も観るのが辛い话であったが、今回はまたそれに轮をかけていたたまれない、ように思うのだが、ところが全体を観おわった感想を言うと、案外そうでもないんだな。不思议とAct.31のようなやりきれなさはない。 どうしてか。それはいま书いた泥妖魔とのバトルに入る直前の、まことと元基の、心温まるシーンがあるからだと思う。さあようやく今回の最后のポイントだ。このAct.41のなかで、私がいちばん好きな场面でもある。おつき合いいただいた皆様も、ほんとうにお疲れ様です。 いつの间にか児童馆を抜け出したショウタ君は、结局、川岸の雑木林の木の上にいた。虫を捕ろうと木に登ったのはいいものの、降りられなくなってしまったのだ。それを见つけた元基はショウタ君を身体を张って助けてくれる。一绪にいたまことは、やれやれとうさぎに电话して、ショウタ君が见つかったことを告げる。その傍らで、元基は泣いているショウタ君をあやし、肩车して、一绪に「♪も~しも~しカ~メよ~」と歌っている。 テレティアを切ったまことは、沈んだ表情でそんな「いい人」の元基をしばらく见つめているが、元基と目があって、近づいていく。元 基「よいしょ(ショウタ君を肩から降ろして)まこちゃん、帰ろうか」まこと「うん……あ、ちょっと」  まこと、ハンカチを出して、元基の颜の汗を拭いてあげる。元 基「ありがと」まこと「いまの歌、お父さんが歌ってくれたことあるよ」元 基「本当!もしかしてカメ好き?」まこと「じゃなかったと思うけど」元基「だよね、へへへ。……やばいなぁ。何か、期待もっちゃいそう」 切なそうな表情のまことのアップに、うさぎの声が重なる。うさぎのM「独りでいいなんて、まこちゃんだって思ってるはずないよ」 何度目のときだったか、この场面をDVDで観ていて、私はあっと思った。そういうことだったのか。何で、いままで気づかなかったんだろう。 长いこと、私はなぜ、実写版の元基が「カメ爱好家」という设定にされたのか、その理由がよく分からなかった。だから、単にウサギとカメという语吕合わせからの连想で、クラウンにカメを置くことになり、だったら饲い主は元基だ、なんていうくらいの、わりと适当なノリと思いつきで决まった话なのかな、とも思っていた。あえて意味づけするならば、善人で无害ではあるがやや钝感、という元基のキャラクターを象徴するのがカメ、つまりカメは元基のことだと思っていたのだ。 実际、発想の原点はそんなところだろう。そしてAct.7の、元基とうさぎの勘违いデートで「うさぎとカメ、やっぱ运命かも」というダジャレ(ではないか)をやって、それから后のカメ吉は、シン(クンツァイト)とうさぎたちの出会いとか、いろんな场面でコミカルな息抜きを提供するアクセサリーになった。 でもある时このシーンを観ていて、ふと「なんで、もしもしカメよの歌をまことのお父さんが歌っていた、なんて话がここに出てくるのかな」なんて思った。そしたらセリフの中の情景が头の中にぱっと浮かんだ。そうだよ、お父さんは幼い自分の娘がどんな子か、そしてこれからどんな子になるか、分かっていたんだ。 まことは健康で元気で、运动神経も良さそうだし、自分をしっかりもっている子だ。そして、そのせいで误解を受けるかも知れないが、実は内面は意外とおっとりしていて、心の成长も人より遅い。きっと恋爱なんてものすごく奥手で、恋人なんかなかなか出来ないだろう。でもそれで良い。あせらず、ゆっくり、自分のペースで育ってくれればいい。お前はまったく世界一、歩みののろいカメだね。お父さんはそんな気持ちで、まことに爱情をこめて「もしもしカメよ」って歌ったのである。そして确かにまことは、今はなきお父さんが予想したとおりの子になった。 まことは、一人暮らしもきちんとこなし、外见はとてもしっかり者にみえるけれど、ほかの戦士たちと违って、うさぎの手助けなしではセーラー戦士に変身することもできなかった。そして戦士となってからも、覚醒に人一倍时间がかかったし、さらに覚醒してからも、自分がなぜ覚醒できたのか、その本当の理由に、直ぐには気づくことができなかった。とにかく何事につけてもめざめが遅くて、とりわけ自分自身の恋爱となると、すぐに「ありえないって」と甲罗の中にとじこもってしまう。そんな臆病で「歩みののろい」绿の戦士が、セーラージュピター、木野まことだ。カメっていうのは、元基ではなく、まことのことだったんだ。だから今回、まことはカメのコスプレをしていた。そしてそのまことを「発见」した元基が、今ここで、パパの歌っていたあの歌を、まことの前で歌っている。これはそういうシチュエーションなのだ。 そう考えると、元基がなぜカメ爱好家なのかも、分かってくる。ここで元基は、いったんは振られたはずなのに「やばいなぁ。何か、期待もっちゃいそう」なんて思わせぶりなことを言っている。元基はだいぶ、まことが分かってきたのである。Act.31で、あんなにきっぱりと自分を振ったのも、嫌われているというよりも、まだまことの侧に、そんな恋爱なんていうことに対して、心の准备がぜんぜん出来ていなかったからだ。まこちゃんはそのくらい纯情で、背はおっきいけど、まだ子供なんだ。 だからすぐ「绝対ダメだと思う」なんて决めつけなくていい。急がなくてもいい。本当にきちんと考えて、结论を出せるようになるまで、ゆっくり歩んでほしい。それまで待っているから。そんな感じなのではないだろうか。そして待つことに関して、これほど気の长い男もいない。彼は「世界一、歩みののろいもの」をこよなく爱しているのだ。 「Special Act」は、本编の物语が终わってから4年后の话だった。それが、まことの心が成熟し、ようやく素直に元基の言叶を受け入れられるようになるまでにかかった时间だ。その时まで、いらだちもせず、まことを优しく见守りながら、待って待って待ち続け、改めてアタックをかけられる、度量の広い男が元基である。そんな男に巡り会うことが出来て、やはりまこちゃんは幸せだよ。 もちろん今回は、さっきも触れたように、この直后に泥妖魔が出现し、まことはセーラージュピターに変身し、揺れる心を再び封印する。また甲罗の中にこもってしまう。ひとまずは淋しい结末だ。でもこの挿话があるおかげで、Act.41は、観おわった后に哀しみばかりが残ったAct.31とは、だいぶ印象が违う。二人の物语には、まだ続きがあるな、という予感がはっきりとこちらに伝わり、ほっとするのだ。それは、目の前でいきなり変身されようが、それでまことに対する见方が変わってしまうような、元基はそんなやわな男じゃないよ、ということを、我々が确信しているからだ。古幡元基がまことを救い、我々を愈す。そしてうさぎも、大阪なるに救われる。戦士が隣人たちを敌から守り、隣人たちが戦士の心を救済する。今回と次回は、そういう话だ。【今周の猫CG】【今周の待ちなさい】なし(放送データ「Act.41」日初放送 脚本:小林靖子/监督:佐藤健光/撮影:上林秀树)
 【第70回】男と女のいる廊下の巻
理由は书かなくてもだいたいお察しいただけると思うが、前に腱鞘炎をやった手首がふたたび疼きだしたので、今回は短く小ネタでまとめます。内容も、少し前に书きかけてボツにした日记の再利用。なお、浜千咲问题に関しては、当方はしばらく动かず、しばらく状况を静観する构えである。ていうか动きようもない。ただひとつだけ言っておきたい。 もうだいぶ以前の话だが、加势大周という人が事务所を移った时、元のプロダクションの社长が芸名を返せとか言い出して、揉めに揉めたあげく「新加势大周」がデビューするなんて冗谈みたいな事态にまで発展したことがある。とっておきの芸名をつけて、手塩にかけて育てた侧の気持ちを思えば、分からなくもない。がしかし、それでも頼みたい。我々の知っている浜千咲がセーラームーンで终わったのなら、惜しい名前かも知れないが、もう永久欠番にしてやって欲しい。お愿いだから「二代目浜千咲」や「新浜千咲」をデビューさせるのだけは止めて欲しい。  さて先日MC-K3さんのところで、『その时はかれによろしく』の公式HPができたことを知った。で、见にいってみると、トップが长泽まさみ・山田孝之・冢本高史、その下に国仲凉子・北川景子・黄川田将也・本多力という面々が続く。北川さんと黄川田くんの名前が、また仲良く并んでいる。北川さんのパートは、もう撮影が终わっちゃったようですね。 それで思い出したのだけれど、以前『Dear Friends』の出演者が决まったとき、私は「北川景子と黄川田将也、初の共演!!の巻」というタイトルで、日记を书きかけたのである。でも书いている途中で、この2人は実写版のAct.7で共演していることに気づいて、その日记はボツにした。うっかりしていた。実にうっかりしていた。耻ずかしいことだ。 ただ、后で改めてAct.7を観てみたら、北川景子と黄川田将也が同じ画面に映っているシーンはほとんどない。东京ドームシティの游园地、うさぎとまことに呼び出されたレイはご机嫌ななめで「どうして私まで?」とつっかかる。そこに卫が出てきて今度はうさぎと冲突、さらに不穏なムードが高まりかけたところへ、元基が「あれ、うさぎちゃんたち卫のこと知ってたの?」と登场。ここで初めて、レイと元基はひとつの画面におさまる。でもその后、うさぎが元基、まことが卫とペアになった后は、レイはもっぱら、しゃっくりのとまらない「カメ爱好仲间の高井君」の面倒をみて、さらに高井君に取り凭いた妖魔に不意をつかれて袭われて、物语の本筋にはぜんぜん络んでこない。で、最后の方で、镜の间で気分を悪くして、ぐったりしている元基を远目に「え、彼がタキシード仮面と思ってたの?まったく、くだらない勘违いでいい迷惑だわ」とうさぎにぼやき、「くだらないってことはないだろ」と怒るまこととにらみ合う。これだけだ。2人が同时に映る场面は、実质3、4カットしかなかった。 だから「事実上の初共演」と言い张っても、あながちでたらめではないと思うのだが、やはりこれは言いわけだ。それに、この日记を书いていて、ほかにもいろいろ思い违いをしていることに気づいたりして、人间の(というか「私の」)记忆なんてあてにならないものだな、と思い知った。というわけで、ちょっとみなさんにお寻ねしたい。みなさんは Act.7以外で、北川さんと黄川田くんが「共演」しているシーンを覚えておられるだろうか。もしご存知だったら、ぜひコメント栏でご指摘ください。私の记忆では、ない。実写版には、火野レイが「こんにちは」とクラウンに入って来て、元基に年间パスポートを见せて、奥に入って行く、というシーンがひとつもない。レイはいつも、うさぎたちが来たときにはすでにカラオケルームにいるか、うさぎたちがいるところへ、ドアを开けて阶段を降りて入って来るか、あるいは阶段を上っていってドアを开けて出て行くか、それだけだ。その前后、クラウンの入り口カウンターから、あの秘密のカラオケルームに続く细长い廊下のような空间に、火野レイがいたのを见かけた记忆が、私にはない。 うさぎや亜美やまことが、何度もあの廊下を出入りしていることについては、改めて指摘するまでもないだろう。ルナはAct.29で、喜々として元基に年间パスポートを见せつける「はい、これ、ちゃ~んともってるの」「だからね、ちっちゃい子だけだと入れないの。パパかママが一绪じゃないと」「ちっちゃくないもん」「え、ちっちゃいじゃん」「ちっちゃくない」。そしてAct.44、亜美の手作りクッキーを「まずい!まずい!」とネフライトがほおばる间に、帽子を目深にかぶって颜を隠し、しかしパスポートはしっかり见せてさっと奥へ入っていく见覚えある少女「え!今の…」もちろん爱野美奈子だ。 美奈子だって一度はきちんと元基の前を通过してクラウンに入っている。なのに私には、レイがここを通り过る光景を见た覚えがないのだ。そればかりではない。Act.23で、レイは「マーズれい子」として歌うためにひとりカラオケで特训する。でも上手く行かないので、仕方なくうさぎに助けを求める。喜んで駆けつけたうさぎが、クラウンに入って「はい!」とパスポートを见せても、そこに元基はいなくて、カメ吉が水槽からひょいと首を伸ばす。Act.34のレイはパパを逃れて、亜美とクラウンに泊まる。そのとき元基の相手をするのはまことだ。まるで元基とレイが接触するのをまことが防いでいるようですらある。というか防いでいるのは小林靖子だ。台本には书いてあるのに、すべての监督たちが示し合わせてそういうシーンはことごとく削除した、とは考えにくいからね。 なぜ小林靖子は、レイが元基のいるクラウンのカウンターを通り抜ける、という何でもない描写を、まったく(ではないかも知れないが)书かなかったのだろう。别に理由はひとつとは限らない。私は、だいたい以下のような诸事情が重なった结果ではないかと思うのだ。(1)レイちゃんはカラオケ嫌いだから「カラオケやりに来ました」みたいな感じで入っていくのはちょっと変。(2)レイちゃんは一匹狼だから「友だちと楽しむのよ」みたいな感じでパスポートを见せるのはちょっと変。(3)后半でネフライトがクラウンの住み込み従业员になる予定が最初から决まっていたから。(4)レイちゃんは巫女で、男嫌いだから。(5)レイちゃんにとってクラウンのカラオケルームは、実はとても大事な安息の场所だから。
 (1)と(2)については、レイのキャラクターを配虑してということだ。まあそのまんまというか、说明は不要だろう。(3)と(4)と(5)についてちょっと解说しておく。(3)はあれだ。レイが普通にクラウンのカウンターを出入りしている描写が前半からあると、后半でどうしてもネフリンと颜を合わさなければならない。でもそうしたら、勘のいいレイがネフリンの正体に気づかないというのもちょっとおかしな话になる。それで最初から伏せておいた、という解釈だ。でもそんなことまで最初から考えていたかどうか、私も半信半疑です。(4)「レイは巫女で男嫌いだから」クラウンのカウンターと、あの细长い廊下は、Act.7でうさぎと元基がデートの约束をした场所であり、Act.14で卫がうさぎを背负った场所であり、Act.15でその话を闻いてドキドキしたうさぎを见て、なるがうさぎと卫のデートを思いついた场所であり、Act.19でまことが元基にマフラーをプレゼントした场所であり、Act.25で阳菜が、卫の気持ちが自分から离れていることに気づいた场所であり、ああもうキリがないや、カメファイターもネフリンと亜美も、要するに実写版における恋爱ドラマはだいたいこの狭い空间で动くのである。元基は自分自身の恋爱のみならず、そのすべてに何らかのかたちで関わっている恋の仲介者と言ってもいい。そしてレイは言うまでもなく男嫌いだ。彼女は内面的には一种のファザコンで、男を恋爱の対象とすること自体をいまはまだ完全に拒绝している。そしてそれが、神に仕える纯洁な巫女という外面と表裏一体になっている。レイがこの空间を行ったり来たりすると、その纯洁な処女性がどうしても汚されてしまう。だから実写版における恋爱の司祭者たる元基とは、引き离しておかなければいけない、だいたいそういう意味です。(5)「レイにとってクラウンは大事な安息の场所だから」うさぎはセーラー戦士になる前から、なるちゃんたちとクラウンに出入りしていた。うさぎにとっては、クラウンは初めから、学校帰りの游び场所のひとつだ。そして亜美やまことにとっても、そこは放课后の集合场所だ。要するに学校の帰り路とつながった空间である。特に亜美にとって、うさぎの存在は「同じ戦士である」こと以上に「初めてできたクラスの友だちである」という意味の方がおおきい。クラウンは、そんな仲良しの友だちと、帰りに寄って、いろんな话や相谈ができる场所なのだ。しかしレイにとってはどうか。レイももちろん、ときどき制服姿でいるから、事実としては放课后にクラウンに寄っているのだろう。でもレイにとってのクラウンって、なんだかうさぎたちと同じ意味での「みんなで集まる场所」とは违うような気がするのだ。そしてそういう印象を与える理由として「レイがクラウンのカウンターを通る场面がぜんぜん(あるいはほとんど)画面に映されない」ことがあるように思える。 そもそもレイが自分の学校で、自分のクラスでどんなふうに日常を送っているのか、という光景は、実写版ではひとつも描かれない。もっともこれはレイばかりではなく、美奈子も同様だ。まことだって、廊下を歩いているシーンぐらいしか映らないし、要するに実写版では、具体的な学校生活の风景は、うさぎのクラスに関してしか出てこない。けれどもそこに「カウンターを通らないレイ」というイメージが加わることによって相乗効果が生まれる。つまり、うさぎや亜美や、あるいはまことにとっては「学校帰りの集合场所」であるクラウンが、レイにとっては、もっともっと现実世界からきっぱり隔绝した、シェルターみたいな场所ではないかと思えてしまうのだ。 レイが学校で、戦士とは别に、うちとけた亲友をもっているようにはとても见えない。学校はレイにとって、仮面をかぶってやり过ごす空间なのだろう。そして神社も、多くの人々が参拝する开かれた公の场で、レイはそこで巫女として过ごしている。そしてそこは、いつ不意に、パパからの使いが黒涂りの车で駆けつけて来るかも分からない、心落ち着かない场でもある。Act.31でレイのテレティアの変身机能には、妇警さんとか消防士とかの「制服」しかメモリーされていないことが明らかになる。「役に立ちそうなもの以外いれてないの」とレイはうそぶくが、ほんとうは、常に「制服」をまとい、世界のすべてに対して、自分を防护せずにはいられないということなのではないだろうか。 そう考えると、戦士たちの中で、外界から隔离され、自分を保护してくれるような空间、制服を脱いで、自分が素直な自分になれる空间を谁よりも求めていて、だからクラウンに谁よりも安らぎを感じていたのは、実はレイなのかも知れない、と思えてくる。Act.10で、うさぎを见るなり家出してきたことを见抜いて、ちょっとためらいながらも、ついつい引き取ってやったのはレイだった。そしてAct.34では、今度はレイ自身がさっさと大きなバッグをしょってやって来て、クラウンに笼城を决め込んでいる。一直线にクラウンに避难してきたのだ。それは、亜美が手提げひとつで、さんざんさまよったあげく、夜遅くにようやくクラウンに辿り着いた、という感じだったのとは対照的だ。マーズれい子が「ここでなら少しだけは/素直になれるかもね」と歌っていたのは、クラウンのことであるような気がしてならない。  まあそんな理由で、北川景子と黄川田将也は実写版でほとんど接する机会がなかったのだと、私は胜手に推测しています。そして2人は実写版が终わった3年后の『Dear Friends』で、リナと洋介として転生し、それはそれは激しく共演されているようなのですが、私は原作は読んだが映画はまだ観ていないのであります。すみません。
【第71回】なるちゃん総集编、そして「うさぎ问题」に仮说を立てるの巻(Act.42)(やっぱり长くなった。もうあきらめた。読んでくださる方、健康については自己责任でお愿いします。)  実写版の再放送は水曜深夜2时15分で、これが特番などが入って3时10分くらいまでずれ込むと、もう大変である。何しろ木曜日は分别ゴミの日で、可燃と不燃と纸ゴミと资源ゴミとカンとビンとペットボトルを分けて出さなければいけない。しかも、うちの区域は回収车が来るのが、すっごく早い。といって、前の晩から出しておくと、犬猫が食い散らすのでやはりよくない。 私は毎朝、家族の朝食を作っているので、普段だったらゴミの方は、妻がまとめたものを出しに行くだけでいい。しかしここのところ妻は花粉症で见るも哀れなボロボロ状态。なので、今周はAct.42を観た后、3时间ほど寝ただけで布団から这い出し、私一人でゴミの分别に取りかかった。まあとにかく眠い。眠いので、出しに行ったときには思わず幻を见たかと目をみはった。ペットボトルの区画に放り出されたポリ袋の山、そのてっぺんのひとつが、ぜんぶ「伊藤园の梅こんぶ茶」の小さな空きボトルだけだったのである。 意外と近所に、热狂的な安座间美优ファンがいるのかも知れない。どんな方だろう。会う机会があったら何と声をかけようか。「出すときはキャップとラベルは外して、资源ゴミに分别してね」いきなりそれじゃ、あんまりか。私も急いでいるときはかなり适当にやっているから、お互いさまだし。
1. ケンコー最后の戦い というわけで日(水)深夜2时15分、Act.42再放送开始。今周からCM枠で黒沢清监督の新作の宣伝が始まった。『CURE』の黒沢清である。『回路』の黒沢清である。また役所広司が出演している、と分かっただけで、もうそれだけで十分に怖い。タイトルはただひと文字『叫』。こんな映画のCM、夜中にやらないでくれよ。トイレ行けないよ。とおびえていたらルナの登场だ。やれやれ。 Act.42、谜だらけの回である。何しろいきなりルナがぐるぐる回りながらナレーションを始める。このぐるぐるは何であろうか。林の中で一人剣を舞うクンツァイトにゾイサイトが近づくと、カメラは意味もなく2人の周りをぐるぐる回りながら会话を追う。このぐるぐるも何であろうか。ぐるぐる回る→プロペラ→ヘリ→佐藤健光。私は疲れているのかな。まあともかく佐藤监督、ぐるぐる回って四巡目、これが8作目にして最后の登板となる。登场もいちばん遅かったが、退场も早い(Act.17、 Act.18、Act.23、 Act.24、 Act.29、 Act.30、Act.41、 Act.42 担当)。 私はこれまで、佐藤监督のことを高く评価してきたつもりだ。だからヘリのローター音のこともあんまり文句を言わなかったし、この人の、无顿着なのかわざと选んでいるのか分からないが、とにかく首をひねるような场面设定にも、あえて目をつぶってきた。体育馆を教会に见立てるのは我々の努力次第だと诉えたし、卫がタキシード仮面の衣装を舍てようとするときの、ちょっとリアル过ぎるゴミ舍て场の描写にも触れなかった。本当はあそこまでゴミ袋が山积みになっていると、ああ私も木曜だから分别ゴミしなくちゃという気分にさせられて、タキシードはともかくマスクは不燃ゴミじゃないのかとか、だいたい舍てるときは袋に入れなくちゃいかんだろうとか、露骨に现実に引き戻されてしまう。それは私だけか。ともかく、最后くらいは一言いっておきます。 最后のバトルのシーンだ。佐藤监督、最后なんだから、もうちょっとマシなロケーションを选べなかったのか。ほんとうに普通の、のっぺりした空间だ。远くにビルが见えて近くに雑木林、脇には金网が张ってある砂利道。その道すがら、たまたま出会ったとでもいうような雰囲気で対峙し合ううさぎ・亜美・ルナと妖魔。なんかこう、戦いのフィールドとしての魅力があまりにも欠けているような気がします。 ひょっとして佐藤监督、「彼女たちは现実に、この街のどこかでひっそり戦っているのかも知れませんよ」というリアリズムを狙っているのかな。しかし今回は、ここでプリンセス・ムーンがハープを弾くのだ。このシーンをどう演出するか、という问题がある。プリンセス・ムーンは高い场所で足を组んでハープを弾く。その间、ほかの戦士たちはそれを不安な表情で见上げている。高みに升ってハープを弾くという时点で、ちょっとマンガ的な构図になっちゃいそうだ。そこを、プリンセスの哀しみと威厳、それを见守る戦士たちの静かなおののきが伝わるように表现しなくちゃいけない。実际、そういう场面を作り出すために、Act.37、Act.38、あるいはAct.46の高丸监督が、どんな工夫をこらしているかを见たまえ。いろいろ言われる高丸监督だが、ちゃんとやっているではないか。 なのに佐藤监督、いったい今回のこれはどういう意味なのか。沢井美优をクレーンに乗せてぐるぐる。そしてプリンセス・ムーンの视点から、こちらを见上げるマーキュリーとルナの表情をインサート。空をふわふわ飞んでますよということなのか?それはいかんだろう。ていうか、クレーンが画面に映らないだけで、どこをどう见てもクレーンに乗っているようにしか见えない。沢井さんも、いろんなことをさせられて大変だなあ。プリンセスの「愈しの力」が初めて発挥される重要なシーンの印象が、これでは困るのだ。 と最后に苦言を呈したが(あ、前にほかにもいろいろ言ったかな)、まあ毎回、様々な映像的なしかけで我々を楽しませてもくれたし、美奈子とレイの丁々発止のやり合いでは存分に持ち味を発挥してくださった佐藤监督とも、これでひとまずさよならだ。あ、それからカメラマンの上林秀树さんも。ありがとうございました。またDVDで観ます。
2. 都合の良い女  さよならと言えば、なるちゃんも忘れちゃいけないね。もちろん、まだAct.46とFinal Act. がある。でもAct.46は要するに今回のお话のエピローグで、Final Act. は、まあオマケだ。というわけで、河辺千恵子诞生日记念第2弾として、ここで少しなるちゃんの轨迹を振り返ってみたい。 最初から决まっていた话とはいえ、Act.1でうさぎの大亲友として登场しながら、次第にその座を追われて、その他わき役の一人になってしまったなる。なるをうさぎから引き离してしまったのは谁か。 亜美か。いや违う。水野亜美がセーラーマーキュリーになって、うさぎの新しい友だちになっても、なるの存在感は失われなかった。むしろ、うさぎに対する友人としてのあり方が非常に対照的だったために、互いの存在が互いを照らして、そこからドラマが生まれていった。それがAct.5やAct.16、あるいはAct.30であったことは言うまでもない。无理をしてうさぎの「友だち」を演じた亜美と自然体のなる、嫉妬に苦しむ内心を打ち明けられない亜美とそれをストレートに表现できるなる、ミオの策略でクラスの仲间はずれにされたうさぎに寄り添い気づかう亜美と、ミオに立ち向かって积极的にうさぎを守ろうとするなる。亜美がいたからこそ、なるのキャラクターは活きたのだ。 だからなるのポジションを夺ったのは亜美ではない。まことである。前にもちょっと书いたが、うさぎを主人公とする物语の中で、なるとまことは両立しない。自分のことはおいてもうさぎに尽くす点、特に恋爱の后押しをするとき张り切っちゃう点、さらには、その友情の示し方が、亜美のような控えめな思いやりではなく、もっぱらストレートな行动によって表现される点、ともかくキャラクターがかぶるのだ。ついでに言えばどちらも爱野美奈子のファン。 だからAct.6でまことが登场した途端、なるはスタッフの手によってうさぎから引き离されてしまった。なるがいると、まことのキャラクターが立たないからだ。Act.6で、なるはカナミやモモコと一绪に、ストリートバスケのタケル君を追いかけて、うさぎを置いてきぼりにしてしまう。一人になったうさぎがチンピラ3人组に络まれたところを、まことが救う。うさぎのかたわらからなるが退场し、代わってまことが登场する。象徴的なシーンだ。 これをきっかけに、次のAct.7で「元基とうさぎのデートに付き添う」とか、Act.8で「うさぎの宿题を手伝ってやろうとする」とか「うさぎのためにナコナココンテストに出る」とか、本来だったらなるが演じるはずの役目を、ことごとくまことが夺う。そしてまことは、なるちゃんほど事を运ぶのがうまくないから、どう考えたって巻き込むべきでないレイを巻き込んで、トラブルを起こしてしまう。まあそうじゃないとドラマにならないわけだ。そうなのだ、すべてはドラマ作りのためのスタッフの胜手な都合なのだ。Act.15でなるは再び「うさぎの亲友」役として呼び戻されるが、これもまったく同じ理由だ。 実写版をうさぎと卫の恋爱ドラマとして见る场合、うさぎが卫の存在を意识し始めて、次第にどんどん気持ちが倾いたところで、阳菜という障害が现れ、つらい思いをする、という前半の展开はセオリー通りだ。しかし一方で恋爱ドラマには、ヒロインのそばにいて、彼女の恋を応援して、相谈役も引き受けたりしながら、二人を见守る友人役が欠かせない。これは主役である戦士の谁かにまかせたいが、しかし适当なのがいない。気弱な亜美も、男嫌いのレイも无理。まことならなんとかやれそうだが、気持ちは真っ直ぐだが行动も真っ直ぐすぎてドジを踏む。そこでまず、二人をぐっと近づけるキューピット役だけ、大阪なるに振る。で、うさぎの恋心にブースターがかかり、そこで阳菜が登场、一気にどん底、ぐだぐだ悩むうさぎ、というパートかから后は、主役のひとり、まことにバトンタッチさせる。 でも最初にデートのセッティングをしたのなら、なるは当然その后も、2人の恋の成り行きを気にして、応援しようとするはずだよね、亲友だし。そうならないと、おかしくないか?そうだ、じゃ亜美となるをケンカさせちゃえ。なるの活跃でうさぎと卫の恋爱ドラマが本格的に始まる、そのタイミングに合わせて、最近なにかとうさぎと仲の良い亜美に、なるが嫉妬する、という别の话を入れる。でこっちのゴタゴタを何回か続けて、最后になるは亜美と和解して、表舞台から引っ込む。その后はまことが、うさぎの恋の悩みの相手役をつとめる。これでどうだ。そうだそうしよう。 そんなふうになるは、まことを主役の一人として立てる都合上、必要な场面にだけ使われて、后は舍てられたのである。都合の良い女。だから小林靖子先生も、なるちゃんには内心ずーっと「悪いなあ」と思っていたのだ。そこで今回、うさぎの亲友としての面目を回复するような话を、なるのために书いたのである。なんか私、妄想入ってますか? 见逃しちゃならないのは、その前段阶として、前回Act.41に、ヒョウの着ぐるみをしたなるが、カメのまことと一绪に子供を背中にのせてハイハイするシーンがあったことだ。「木野さんて、学校だと取っつきにくい感じだけど、けっこう优しいんだ」「そう?」「それ似合ってる!」これは、実はうさぎをめぐって亜美以上に対立していたまこととなるの、ひそかな和解の仪式なのである。だからなるのファンにとっては、感动的なのだ。なるは子供を背中にのせて一所悬命に这っているまことの姿を见て、自分のポジションを夺ったライバルを、笑颜で认めることにしたのだ。伟い子だ。ほんとに健気だなあ。そしてやっぱり私、妄想入っているなあ。
3. お见舞いなのにルンルンなの  さてそんな大阪なるが、前回、ついにうさぎの変身を目の当たりにする。そしてそれがきっかけで、今回ようやく、亲友としての绊を取り戻す。病院のベッドに横たわる彼女は、伤の痛手よりもそのことが何より嬉しそうで、晴れやかな笑颜を见せる。そうやって実写版における大阪なるの物语は终わる。うさぎ「なるちゃん、ごめん。私のせいでこんなことになっちゃって」な る「ホントにひどいよ」うさぎ「ごめんね」な る「私に黙ってたこと。あんなふうに変身して戦ってるなんて、ぜんぜん言ってくれなかったじゃん」うさぎ「え…」な る「怪我なんかよりそっちの方がショックだな」うさぎ「それは…、秘密なのが、お约束っていうか」な る「なにそれ(つい吹き出して)……でも、もう秘密じゃないんだから、もっとちゃんと话してよ」 つい引用してしまったが、别に说明が必要な会话でもないね。 この后、场面はいったんダーク・キングダム侧に移って、再び病院のシーンに戻ったときには、なるはもう、うさぎの话を闻き终わってる「月のプリンセスか、なんか、すごい话だね」「でも本当なんだよね、私がちゃんと顽张らないと、地球が、灭んじゃうから……」 うさぎが、どのへんまで话したのかは、あえて示されない。视聴者の想像にゆだねられている。私としては、少なくとも、なるがここしばらくの间、自分の周辺で起きた数々の怪现象について、ある程度「そういうことだったのか」と纳得できるような话であって欲しいと愿っている。何しろなるちゃんは、Act.1でママの妖魔に袭われたのを皮切りに、Act.6のバスケのタケル妖魔、Act.8のナコナココンテスト、Act.16のアリ地狱、とにかく実写版の世界でいちばん妖魔の被害を受けているのだ(『M14の追忆』「被害者の物语」および「大阪なるの暁光(后编)」参照)。まあ、基本的にこの人もかなりカンの良いキャラクターとして描かれているから、うさぎの说明が多少舌足らずでも、だいたいは察しがつくと思うけどね。 そして亜美。今回、もうちょっと后で、亜美がなるのお见舞いにやって来る。うさぎは「亜美ちゃんがお见舞い来てくれたら、なるちゃんもよろこぶよ」と嬉しそうだし、亜美も何となくルンルンである。伤ついた友だちの入院见舞いに行くのに、そんなに楽しそうでいいのか?いいのだ。うさぎは、すべてを打ち明けた后も、なるが自分に変わらない友情と信頼を寄せてくれたことを喜んでいるのだし、亜美はたぶんこの时、すでにその话をうさぎから闻いていて、自分も、Act.14でマンションからなるを闭め出したことを、あやまるつもりだったんだと思うよ。亜美にとっても、自分がなぜ大阪さんをさしおいて、急にうさぎと亲しくなったのか、その本当の理由をずっと话せなかったことを、负担に感じていたに违いない。それを打ち明けて、ようやく大阪さんと本当の友だちになれる。そんな気分なんだろう。 しかしその时、ルナが妖魔の出现を察知する。病院では沢山の人々がバタバタと倒れている。なるの枕元に駆けつけるうさぎと亜美だが、なるは意识を失っていて、亜美のお见舞いは実现しない。残念だ。でもこの后、画面には映らないどこかで、やっぱり亜美はなるにきちんと谢って、なるもそれを笑颜で受け入れたんだと、私は胜手に想像している。
4. 亜美と元基とネフライト
というふうに、今回は久しぶりに亜美の出番が多いエピソードである。亜美がクラウンに行くと、そこには银水晶の力を暴走させないために特训中のうさぎがいる。そのうさぎと一绪に病院へ行くと、メタリアの力で意识を失ったなるがいる。そして妖魔を见つけ出し、変身して対决を挑む。ダーク・キングダムの话を除くと、ほとんど亜美が物语の进行役と言ってもいい。最后にセーラームーンと妖魔を攻撃するときには、マーキュリーアクアストームという新技を披露している。 にもかかわらず、印象が薄いのである。この「シリーズ后半における亜美の存在感の希薄さ」という问题について、私はずっと、前半の亜美があまりにもインパクトが有りすぎた反动だろう、ぐらいのことしか考えていなかった。ところが最近M14さん(安座间ファンサイト认定初代无差别级世界王者)は、そういう后半の亜美に、それはそれでまた别の意义を见いだしている。详しくは「検证・これが実写版の台本だ!-act46」の(その12)および(最终回)のあたりをお読みいただきたいが、要するにAct.40以降の流れのなかで、亜美は视聴者の视点と疑问を代弁する立场にある、つまり「観察者」としてうさぎと银水晶の秘密を见守り、その谜を视聴者と共に追い、必要な情报を视聴者に提供するポジションに置かれている、というのである。 そう言われてみると、今回、Act.42の亜美も、ほとんど状况を観察しているだけで、积极的にその中に入っていかない。それが印象の薄さの原因なのだ。たとえば妖魔との戦いでは、変身して最初に、セーラームーンが放つ、バレーボールの时间差攻撃的なアクションをバックアップするくらいで、后はもう、とつぜん出现した卫と黒木ミオとセーラームーンの会话、そしてプリンセス・ムーンの戦いをぼーっと突っ立って见ているだけなのである。本当にただの傍観者で、最后にやっと、プリンセス・ムーンからセーラームーンに戻ったうさぎに「亜美ちゃん」と言われて、はっと我に返ったように、同时攻撃で新技を出すだけだ。だから今回、新技が出たことすら、私はすっかり忘れていた。 で、そうやってすべてを冷静に傍観していたことが、たとえば「みんなを元に戻すには……、やっぱり幻の银水晶しかないんじゃないのかな……」(Act.46でカットされたセリフ)という洞察につながってくる、というのが、M14さんのご指摘だったわけだが、この「観察者」いや「傍観者」となった亜美のポジションというものを考えているうちに、私はちょっと、それとはまた别のことに思い当たった。それは、なぜ亜美がネフライトのことを気にかけるのか、という问题である。 ネフライトは结局、亜美と元基によって救済される。いや実际には何だかよく分からないのだが、ともかく亜美は、ほかの仲间が、もはやネフリンのことを、新しくクラウンに入った、ちょっとおかしなバイトのお兄さんぐらいにしか见ていないなか、唯一、その姿をじっと见守っていた。そして、その亜美のくれた「まずいもの」のお礼を买う金がなくて、见かねて贷してくれた元基に「すまん」といった时点で、ネフライトの物语は完结に向かう。ネフライトにとって亜美と元基とは、何だったのか。そういう疑问が「傍観者」というキーワードでつながるような気がしたのである、そのことについて、ちょっと书いてみたい。
5. 「普通」になった亜美だけが、ネフライトを愈せる 古幡元基は今回も、いつものようにクラウンのカウンターでカメ吉と游んでいる。というか、以前より元気になったかのようにさえ见える。これはちょっとした谜だ。前回、ジュピターに変身したまこちゃんを见て立ちつくしていた彼が、それからどのようなことを考えていたのか、多少はフォローがあっても良さそうなものなのに、何か考え込んでいる様子は、ぜんぜんない。亜美がやって来ても、いつも通りの「いらっしゃい」である。ただ私には、なぜ今回の元基が元気で明るいのか、なんとなく分かるようにも思える。 前回の日记で书いたように、これまでクラウンにはセーラー戦士や卫を始め様々な人々たちが出入りして、そこでドラマが起こったりしている。カウンターの元基は、彼女たちとちょっとした関わりをもちながら、それでも基本的には、傍観者の立场にとどまっていた。おそらく、年间パスポートという特别な通行证をもち、どの部屋なのかも定かでないカラオケルームに消えてゆく一群の少女たちに、何かしら秘密めいたものを感じてはいただろうし、卫と阳菜の破局、卫の突然の帰国などなど、卫をめぐる不可解な谜も、何かしらそのことと関系がありそう、ぐらいには思っていただろう。しかしあえて深入りせず、亲友の卫や、特别に好意をいだいているまこと、そしてその仲间たちに、自分の立场でできる限りのことをしてきた。 それが前回、まことの変身を见た。ほんの一部ではあるが、彼女たちの秘密を目撃したのだ。前にも书いたが、この男はかなり繊细で锐敏な一面をそなえている。彼は自分がそのことによって、これまでのカヤの外に置かれていた状态から、物语の中へおおきく一歩、足を踏み込んだことを自覚している。それが今の充実ぶりというか、ちょっと场违いな元気さにあらわれている、そんな気がするのだ。 一方、その元気印の元基(とカメ吉)とは対照的に、ネフライトは、前回までの势いはどこへやら、しょんぼりしゃがみ込んでモップをかけている。あまりの変わりように元基も心配になり、「ネフリン、ネフ吉くん」と声をかけてみるが、それでも以前のように反拨しようともしない。「どうしたんだよおかしいよ。具合悪いのか?」「自分のぶざまさに嫌気がさしたんだ。それだけだ」そこへ亜美が「こんにちは」と入ってくる。その明るい声に、ますます惨めな気持ちになるネフライト。 ネフライトの立场は、元基とまったく逆のコースを辿っている。元基がようやくセーラー戦士の秘密の一端に触れたのとは逆に、彼はいよいよこれからという时点で物语の世界から追放され、クラウンのカウンターという傍観者の位置にはじき出され、かつての敌であったセーラー戦士さえ、それとは気づかないような、ただの人间、ただのわき役にまでおとしめられてしまった。それは彼のようなプライドの高い男にとって、确かに「ぶざま」なことである。 そしてそんな、谁にとっても、もはや「通りすがりの人」となったネフライトの前に、ただ一人、立ち止まって静かなまなざしを向けるのが、亜美だ。亜美の立场はネフライトに近い。前半あれほど重要な役割をはたして、ドラマを引っ张ってきた亜美は、その葛藤にひとつの决着をつけて、いまはセーラー戦士たちの物语の中心からは、离れている。ネフライトと同様、傍観者的な位置にいるのだ。ただネフライトと违うのは、亜美はそのことを喜びをもって受け入れており、とてもおだやかな気持ちでいる、という点である。かつて悪の华として邪悪な魅力をふりまいてたダークマーキュリーは、いま、戦士たちの中で最も「普通の女の子」になって、これまでにない心の落ち着きを得ている。そして、本当の救済と心の平和が、普通の生活を送り、クッキーを焼いてうまくいったり失败したり、そういう些细な日常の积み重ねの中にひそんでいることを、プリンセスや戦士たちはそれを守るために戦っていることを、无意识のうちにネフライトに伝えようとしているのだ。 いよいよ终局に向かいつつあるセーラー戦士たちの悲剧のドラマ。これまでそこにほとんど関わることのなかった立场から、一人の戦士の心にしっかり入り込んで「主要登场人物」のひとりになった元基。それとは対照的に、银水晶を追う立场から、ただの「傍観者」に堕ちて伤つくネフライト、そんなネフライトに、やはり「ほとんど主役」だった立场から、戦士たちの葛藤を见守る「傍観者」となり、しかもそのことに満足している亜美が、包み込むように温かな视线を送る。それは、今のところはまだ、ネフライトをいっそう惨めにするだけだが、やがて彼を愈す力となるだろう。 2人の心の交感はすでに始まっている。终盘でプリンセス・ムーンがまたしても覚醒し、メタリアの力が势いを増すと、もはや戦いにはなんら関与せず、クラウンでモップを握るネフライトの右手に、不意に异様な力がみなぎる「この力は!?」。それと同时に、まったく同时に、戦いの场では妖魔がプリンセス・ムーンを攻撃し、その余波が、2人の戦いをただ呆然と傍観しているマーキュリーの、やはり同じ右手首を深く伤つけるのである。 その时、うさぎの「亜美ちゃん」という声が响き、プリンセス・ムーンは剣をハープに変形して、宙に舞いながら愈しの音楽を奏でる。それはマーキュリーの手首の伤を治愈し、枯れた花々を再び咲かせる。おそらくネフライトの右手に苏りかけた邪悪な力も、それと共に去っていったのであろう。 力をもたないただの人となることが、本当の愈しである。なぜならプリンセスは、プリンセスでも银水晶の伝承者でもない、ただの自分自身であることを求め、そんなふうに自分を见て、爱してくれた人をだけを、いまもなお思い続けているのだから。
6. 「うさぎ问题」は前世の再现である(仮说) プリンセス・ムーンは今回、ほんのひととき姿をあらわした卫=エンディミオンがミオと共に消え去ったとき、出现する。必死でそれを押しとどめようとしていたうさぎだったが、卫のただならぬ苦闷の表情と「うさぎちゃん、卫君はね、命を吸い取られる石を埋め込まれちゃったんだよ。うさぎちゃんのことを思えば思うほど、吸い取られるんだから。卫君が死んじゃったら、うさぎちゃんのせいだからね」というミオの言叶に心を乱され、プリンセスの出现を许してしまうのである。だがそれでも、长风吕に入ったりレタスを食べたりの特训は、一応の効果はあったようだ。だから右腕に伤を负うマーキュリーを见たとき、うさぎとしての意识がよみがえり、心の中で「亜美ちゃん!」と叫んだのだ。そして亜美の伤を愈した后、再びハープを剣に変形して、五芒星アタックを放とうと构えたときも、「だめ!」とブレーキがかかる。そしてまたAct.38の时と同じ场面、つまり心のなかで、现世のうさぎと、前世の人格プリンセス・ムーンは対面する。う さ ぎ「どうして分かんないの?力を使えばこの星とか人が伤つくんだよ」プリンセス「エンディミオンはどこ?」う さ ぎ「卫だって、力を止めろって言ってたじゃん」プリンセス「エンディミオンはどこ?」う さ ぎ「どうしてそんなに……」プリンセス「私にはエンディミオンしかいない。プリンセスではない、私自身を见てくれたのは、エンディミオンしか……。エンディミオンがいない星は、いらない」う さ ぎ「淋しいんだね……でもだめだよ。星はぜったい

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