を杀すすべてのもちろん私の国の中国人在泰国被杀でも...

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中国の女の子「私は23歳です。なぜみんなそんなに日本のことが好きなの?」 中国の反応中国女孩:我今年23岁。为什么大家那样喜欢日本呢? 中国的反应
疑问。なぜそんなに日本が好きなの?まず、自分のことをちょっと绍介させてください。私は23歳の女の子です。日本へ行ったことはありません。普段はアニメ、歴史书、映画やドラマやネットや掲示板で日本のことを知ります。歴史が好きなので、中国と日本とは四つの戦争をしたことがわかりました。唐と日本の戦争や明と日本の戦争、また甲午戦争と抗日戦争。いずれも日本侧から挑発しました。それから南京大虐杀や731军队もよく知っています。第一と第二のアヘン戦争では中国の留学生も日本へ先进的な文化知识を学びに行きました。そして多くの日本人も孙文の同盟会を支持しました。今中国人が使っている日常単语は百以上も日本から输入されたということも知っています。でも、日本人の第二次戦争に対する态度は受けいれられません。南京を解放するために南京大虐杀をおこして、日本の军队が町に入っても市民は混乱しなかったと日本人は言います。日本の有名なアニメをいくつも见たことがありますが、ホモについてのアニメがたくさんあって见ないと决めました。でも日本の音楽はすばらしく、绝対アジア一だと思います。日本を嫌いな部分があり、好きなところもある。正直に本当に复雑です。皆さんはどうして日本のことを単纯に好きだといえるのですか? 先说一下我的情况我是女生今年23首先我没去过日本对日本的印象来自动漫,来自历史书来自电影,电视,或者网络,或者贴吧因为喜欢历史,所以我知道中国和日本一共有过四次战争分别是唐日战争,明、日战争,甲午战争 和抗日战争这四次战争都是日本主动挑起来的还有南京大屠杀,731部队当然我也知道,在一次二次鸦片战争中,中国有很多留学生去日本学习先进的文化知识孙中山的同盟会也有日本人的支持。中国人现在的日常汉子有百来个都是日本赋予新的意思的词语不过日本人对于二战的态度还是让我无法接受对于南京大屠杀解释的是去解放南京,日军进城之后南京市民日常秩序不变之类的日本的动漫我也喜欢过,有名的大部分我都看过,不过最近觉得搞基的太多了,所以才停止去追动漫。日本的音乐很棒,绝对是亚洲第一呀!!我讨厌,厌恶过日本,也喜欢过日本所以老实讲对日本的感情太复杂了, 因此想问各位,为什么就可以纯粹的喜欢日本呢? コメント引用元
1. 中国人の投稿者日本のアニメや音楽、それから环境、风习や人柄が好きだからだよ。我喜欢日本动漫 音乐 环境 还有习俗和素质。
2. 中国人の投稿者日本の田舎の町や农村が好きだな。日本 城市与乡村结合的地方 3. 中国人の投稿者日本を嫌いな原因は歴史や国土の発端など以外の何者でもない。确かに歴史を忘れてはいけないとおもうけど、でも长い时间が経っていてそこまで重要にも思えない。それから国の歴史は政治に関することで、私たちにはあまり関系がないから。讨厌日本除了历史原因,领土争端还有什么呢?历史不能忘,但毕竟离我们太远,没有切身体会的实感。领土争端更是政治家的事,与我们何干?
4. 中国人の投稿者日本が好きなので中国を嫌がる、という人は马鹿だ。日本ほど良いというわけではないですが、中国もそんなに悪いわけではない。因为喜欢日本而说中国不好的都是脑残。日本没那么好,中国也没那么不堪~~
5. 中国人の投稿者昔のことは忘れてもいいというわけではない。ドイツ人は以前に起こした罪も忘れない。不能因为很久以前就要忘记德国就没有忘记几十年前的罪恶。
6. 中国人の投稿者どうして日本が好きなのか私には理解できないな。我也不理解为什么喜欢日本。
7. 中国人の投稿者歴史的には日本は悪いことをしなかった。中国にしてみれば日本を嫌がるのは当然であるが、よく考えると理解できるかもしれないよ。从历史的角度看,日本做的也没什么不对的从中国的角度看自然是很恨日本,但真要好好想想的话,你就会明白的
8. 中国人の投稿者私も日本が嫌い。しかし嫌いなのは日本政府と右翼だけだよ。国民は右翼とは违うから。我也厌恶日本但我厌恶的是日本政府和那帮右翼如果真要说民众你会发现没有谁会是这样的
9. 中国人の投稿者日本は歴史に対してあまり本気ではないようだしね。最近は良くなっている気がするが・・・日本对于历史的态度不够认真。感觉这几年有一些改观了
10. 中国人の投稿者中国人が日本へ学びに行ったのは、日本が中国より様々な分野で先进的であるからだよね。中国去日本学习因为日本很多理念都比中国要先进
11. 中国人の投稿者日本の漫画かぁ。人気なのでは『ホモ漫画(BL漫画?)』が流行っていますが、良い漫画もありますよ。日本动漫么。。。搞基的漫画受到大家欢迎的商品,当然也是有好漫的
12. 中国人の投稿者日本の音楽といったら、现代音楽や和声が大好き。特にボーかロイドが好きだなー。日本の音楽家たとえば鬼太郎やSENSや姬神などが作る音楽は本当に中国的なものだ。说起日本的音乐啊,我挺喜欢现代音乐和和乐组合的我最爱的是VOCALOID,日本的音乐家例如喜多郎,SENS,姬神,他们的音乐甚至比中国还中国
13. 中国人の投稿者総括して日本が好きな理由は四つある。1.ボーカロイド2.日本人の长所がある。3.浮世绘と音楽。4。いざとなると、物事の重要度をよく分けることができる。例えば地震がおきたら中国を応援してくれるし、韩国人のように中国人を侮辱しないし、人の不幸も喜ばない。我喜欢日本的原因主要有四点1.VOCALOID 2.日本人的优点 3.浮世绘和和乐 4.关键时刻分得清轻重,明白什么更重要在例如地震之类的事情上不会像棒子那样侮辱中国,幸灾乐祸
14. 中国人の投稿者70年代のことを今と比较しても意味がない。今の日本人は确かに祖先と血縁はあるが、アメリカが治めたときに民主教育を受けている。つまり今の日本人は表むきはが日本人ですが、西洋文明で育ってきたんだ。70年代(→前)的东西拿来和现在比是没意义的。现代的日本人在血缘上确实与他们的祖辈们相连,可他们受过的教育却是确立在美国统管日本后所建立的民主教育换句话说,现代的日本人壳子是日本人的壳子,脑子已经彻底地被西方洗过脑了。
15. 中国人の投稿者アメリカが政治的理由で、右翼を取り除かなっかたんだと思っている。石原も天皇も右翼分子です。美国接手日本以后,因为出于政治上的考虑并没有把日本的右翼份子肃清石原和天皇都是右翼分子。
16. 中国人の投稿者>>15天皇を残したことは、右翼を残したことと一绪ではないよ。そのころ天皇は日本人にとっては神様だと思われていた。アメリカにとって神を利用してこの国を支配できることは、少ない労力で倍の成果を得られる。それも过去の状况よ。今の日本人にとって、特に若者は天皇のこととかは関系ないと思っているよ。保留天皇并不是保留右翼当时的天皇是日本人心目中的神美国以神来操纵已经快达到疯狂边缘的民族,对美国来说这不是事半功倍吗?另外,我已经说过这都是当时的情况现在的日本人,尤其是年轻人,他们对天皇大多是没什么感觉。
17. 中国人の投稿者石原さんのような极端な右翼分子や、确かに自分で戦争を体験したという日本人もいるけど、もう少なくなくなっているよ。国内の思想が统一されるのはどんな国でも无理だよ。像石原之类的极右分子,在亲身经历过战争的日本人中确实有,但是已经是很少,并且他们也在走向死亡。任何一个国家都不可能完全肃清异己。
18. 中国人の投稿者中国人にして见れば、近代において日本に侵略されたのできっと怒りと感じている。でも日本人にしてみるとそんなことはない。お互いに伤つけあった。みんな自分の立场から见ているからだね。ほか国の人から见ると、日本が正しくて、中国人はただ気が狂いすぎたと思っている。でも正直、歴史をちゃんと知るほど日本のことが嫌にならなくなるよ。站在中国的角度上肯定是会因为近代被日本侵略感到愤怒但是从日本人看来就没那回事了。大家都站在自己立场上看问题。如果是其他国家的人,会觉得日本没有做错,只觉得中国人太疯狂了。但是说实在话越了解历史越不会恨日本
19. 中国人の投稿者すべての国が自分の歴史を损ないたくない。中国もそうではないでしょうか。国を判断する时、ただ一面的に考えるのはどうかと思うよ。我想没有一个国家的历史书上会说自己国家的败坏历史吧你有看到过在中国历史书上有中国的败坏历史吗?每个国家都不能只以一面就进行判定
20. 中国人の投稿者靖国神社に行ったことがある。中では位牌を奉げてなくて、ただたくさんの写真が置かれて、写真の下に名前や职位といった绍介がついている。我去过靖国神社没看到里面有什么供奉的牌位,只是有很多照片,每张照片下面有个简介,姓名,职位什么的 21. 中国人の投稿者最も重要なのは中国の国情が好きじゃないことだ。最重要的是不喜欢中国国情。
22. 中国人の投稿者>>21主席でも変えることができない。今の中国の国情は一人の力では変えることができない。长い间根を下ろした国民性によって今のようになってしまった。変えようとするなら、子供の教育から考え直さないといけない。主席也改变不了的。现在的中国国情凭一人之力是无法改变的。经年累月扎下根的国民性导致现在这个情况。要想改变的话,就要从改变孩子们的教育开始。 23. 中国人の投稿者日本が嫌い ← わかる日本が好き ← まぁわかる中国が嫌い ← 超わかる中国が好き ← 意味がわからない讨厌日本 ← 理解喜欢日本 ← 还算理解讨厌中国 ← 超级理解喜欢这个 ← 完全不理解
24. 中国人の投稿者そもそも日本や日本人と接する机会が无くて、兴味があまりない。嫌いってのとはちょっと违うかな。でも、他所の国の中では好きな方だよ。结局は他国にあまり兴味が无いって事なんだ。本来就没有接触日本和日本人的机会,我是没什么兴趣了。可能和讨厌还是有所不同的。但是其他国家是喜欢的哦。到底还是对其他国家没什么兴趣吧。
25. 中国人の投稿者なんでスレ主は、みんな日本が好きって决めつけてるんだ?为什么楼主就片面断定大家是喜欢日本的呢?
1. 名前:通りすがりの日本人 [] 投稿日:(木) 21:32.49すっかり洗脳されてるようで…>いずれも日本侧から挑発しました完全被洗脑了……&所有的战争都是日本挑起的 2. 名前:通りすがりの日本人 [] 投稿日:(木) 21:40.13人生は一生勉强だ人生就要活到老学到老 3. 名前:通りすがりの日本人 [] 投稿日:(木) 21:40.4223が面白いw23楼有意思w
4. 名前:通りすがりの日本人 [] 投稿日:(木) 21:41.03>日本が嫌い ← わかる日本が好き ← まぁわかる中国が嫌い ← 超わかる中国が好き ← 意味がわからない参ったw讨厌日本 ← 理解喜欢日本 ← 还算理解讨厌中国 ← 超级理解喜欢这个 ← 完全不理解我服了w
5. 名前:通りすがりの日本人 [] 投稿日:(木) 21:41.1523のコメントがおもろいあれくらいは検阅セーフなんだなww23楼的评论有意思这种程度的应该可以通过审核吧ww
6. 名前:通りすがりの日本人 [] 投稿日:(木) 21:42.11なにを被害者面してんだろうか戦争ならお互い様やろ为什么把自己当成被害者呢战争的话双方都差不多吧
7. 名前:通りすがりの日本人 [] 投稿日:(木) 21:43.09どうやらBLのアニメが日本の评判を落としたみたいだねそりゃあ落ちるわな、BLなんて言叶浊しても结局ゲイでホモなんだからね拒否感は强いだろうな少なくとも女性に囲まれた男性のアニメの方が正常な志向で理解は出来るだろう看来BL把日本动画的评价拉低了啊那当然会降低吧,BL这样的就算含糊其辞,到底还是gay和搞基啊给人的拒绝感很强吧至少后宫动画比它要取向正常容易理解吧
8. 名前:通りすがりの日本人 [] 投稿日:(木) 21:43.10中国の歴史も韩国レベルだな中国的历史也和韩国一样的水平啊
9. 名前:通りすがりの日本人 [] 投稿日:(木) 21:44.38この人は南京で何人虐杀されたって教わってるんだろうな?年々教科书に记载されてる人数が増えてるんだろ?笑っちゃうねあとホモ嫌いの女子居るんだなw这个楼主是被人教了南京有多少人被屠杀之类的吧?每年的教材记载的人数都在增加吧?真搞笑啊也有讨厌搞基的妹子啊w
11. 名前:通りすがりの日本人 [] 投稿日:(木) 21:45.12&&でも日本の音楽はすばらしく、绝対アジア一だと思います。っえ!?&&但是日本的音乐很棒,绝对是亚洲第一。诶!?
13. 名前:- [] 投稿日:(木) 21:45.29自国政府を信用してないくせに都合がいいように改変された歴史信じきってるとかこれは话になりませんわ明明连自己的政府都不相信,却相信那些方便自己而改变的历史这根本就不值得讨论了
14. 名前:通りすがりの日本人 [] 投稿日:(木) 21:46.38ドイツドイツってうるせーなw中国こそが现代のナチスじゃんだから世界各国が危険视してるのに気付けよw德国德国的真尼玛烦啊w中国才是现代的纳粹嘛所以被世界各国当做危险国家,醒醒吧w
15. 名前:通りすがりの日本人 [] 投稿日:(木) 21:46.38は?23?               うけるぅw哈?23的?
16. 名前:通りすがりの日本人 [] 投稿日:(木) 21:46.5123は笑った。GJです。23楼的,我笑了。Goodjob。
18. 名前:通りすがりの日本人 [] 投稿日:(木) 21:53.30ちょっと待ってくれ23の女の……子?诶等等,23岁的女孩……子?
19. 名前:通りすがりの日本人 [] 投稿日:(木) 21:56.59ファイアーウォールの中でじっくり考えてください。请在防火墙里面慢慢思索吧。
22. 名前:通りすがりの日本人 [] 投稿日:(木) 22:02.40&ちょっと待ってくれ23の女の……子?オッサンの俺からしたら女の子だよ、うん&诶等下啊,23岁的女孩……子?从大叔我看来的话,是女孩子哦,嗯
23. 名前:通りすがりの日本人 [] 投稿日:(木) 22:02.4623歳の女子がホモを嫌うわけがない捏造记事乙23岁的妹子怎么可能讨厌搞基博主捏造辛苦了
25. 名前:通りすがりの日本人 [] 投稿日:(木) 22:04.07唐や明と戦争???和唐、明战争???
27. 名前:RT [] 投稿日:(木) 22:05.14日本が嫌い ← わかる日本が好き ← まぁわかる中国が嫌い ← 超わかる中国が好き ← 意味がわからない讨厌日本 ← 理解喜欢日本 ← 还算理解讨厌中国 ← 超级理解喜欢这个 ← 完全不理解
28. 名前:通りすがりの日本人 [] 投稿日:(木) 22:05.20ドイツを持ちださないと、日本の非を指摘できない所が、中国人の持つ文明の限界点だよね不搬出德国就不能指摘日本的错,这是中国人所拥有的文明的临界点吧
29. 名前:通りすがりの日本人 [] 投稿日:(木) 22:07.33ドイツに行くと惊くぞ歴史?歴史にかぎらず学力の低さに惊くぞ去德国就会大吃一惊的哦历史?不只是历史,学力之低也会大吃一惊的哦
30. 名前:- [] 投稿日:(木) 22:08.06日本と唐や明との戦争って何だっけ?ってか、あったっけ?日本和唐、明的战争是什么?话说有这样的东西吗?
31. 名前:通りすがりの日本人 [] 投稿日:(木) 22:08.43殆ど无意识みたいなものだからどうしようもないのかもしれないけど领土拡大欲は绝対日本にあると思うよ虽然这些事情大都是像无意识一样的东西,我也觉得无可奈何但是日本绝对有过扩张领土的欲望 32. 名前:- [] 投稿日:(木) 22:09.57南京市民20万人中30万人を虐杀した旧日本军は悪魔です中国様许して…屠杀南京20万市民中的30万人的旧日军是恶魔中国大人饶命…… 33. 名前:通りすがりの日本人 [] 投稿日:(木) 22:10.0423、めちゃくちゃ笑ってしまったよ23楼的,挺搞笑的哦 34. 名前:通りすがりの日本人 [] 投稿日:(木) 22:11.31アヘン戦争については、何も思わないのかね。对于鸦片战争就没什么想法吗。 35. 名前:通りすがりの日本人 [] 投稿日:(木) 22:12.02いろんな考え方のひとがいるだけ各种想法的人都有
36. 名前:通りすがりの日本人 [] 投稿日:(木) 22:13.0423の中国人好きだわ~。妙に冷静wwこういうところがあるから中国人に対しては、韩国人よりずっと良い印象があるんだよね。我喜欢23楼的中国人哦。意外的冷静ww正是有这样的地方,我对中国人的印象才比对韩国人的好得多。
我就真的很讨厌搞基漫画啊!!23楼是谁啊??赶紧出来吧!!!
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出门在外也不愁【译文转载】日本不是“西洋化”,而是“中国化”_吧_百度贴吧
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【译文转载】日本不是“西洋化”,而是“中国化”
【全文】(この记事はYahoo!ニュース内のページ「史论家练习帐」に6月26日付で掲载された记事の転载です)日に、『中国化する日本』の中国语版刊行を记念して、北京师范大学で行った讲演の原文です。通訳は拙著の翻訳者の何暁毅先生(山口大学)、コメンテーターは王新生先生(北京大学)でした。旅行记ともあわせてどうぞ。ゆきづまった「西洋化」の物语北京のみなさん、はじめまして。この度、『中国化する日本』を翻訳していただいた、著者の与那覇润です。この本はもともと、もっぱら日本の読者を想定して书かれた日本史の本でしたので、今日は初めて中国でお话しすることに、多少紧张しております。私の使う「中国化」という言叶は、「西洋化」と対になる概念と理解していただければと思います。すなわち歴史の推移にともなって、「ヨーロッパに似た社会になってゆくこと」を西洋化と呼ぶように、「中国に似た社会になってゆくこと」を中国化と呼ぶこともできるのではないか。そう提案することで、実は日本の歴史の展开はこれまでよりもよく分かるようになるのだということを、私はその本で、日本の読者に伝えようとしました。われわれ日本人は19世纪以降の自国のあゆみを、「西洋化」として理解することに惯れています。そしてそこには常に、アジアのなかで「西洋化」を达成できたのは日本だけだという、ささやかな夸りと自尊心とが伴っていました。しかしながら、その自信を私たち日本人は失いつつある。「衰退」が指摘されて久しいとはいえ、日本はまだまだ、みなさんよりも豊かな国のはずであります。国内総生产(GDP)では第二位の座をみなさんにあけわたしたとはいえ、国民ひとりあたりの数字に直せば、泰然自若としている余裕が十分にあるといってよい。それにもかかわらず、もし、いまの日本人のふるまいにどこか鹰扬さが失われているところがあるとすれば、それは近年のグローバル化の下でまさしくこのプライドが、二重の意味で伤つけられているからにほかなりません。二重の意味というのはこういうことです。まず、西洋化を达成できたのは日本だけであるとは、もはや言いにくい状态になってきた。长らく反共的な军事独裁政権の続いてきた韩国・台湾が、冷戦の终焉とともに民主化し、ともに大统领や议会の直接选挙を行うようになった。得意分野だったはずの电机产业でお株を夺われ、世界市场で韩国のサムスンに胜てる日本メーカーもなくなった。その结果として、「周辺诸国に负けていない」という自尊心を満足させるには、日本人の「民族性」が他と比べて优秀であるとか、日本の「歴史」には隣国と异なり一点の汚れもないとするような、露骨なナショナリズムやレイシズムを振りかざすしかなくなった。たとえばこのような构造が、东アジアの全体を巻き込んでしばしば展开される「歴史问题」の背景としてあります。さらにもう一重の意味として、世界のあらゆる国が本当に「西洋化」するのかという、将来の展望が不透明になってしまった。アジアで日本だけが西洋化できた、ということを他国に対する优越性の证明とするには、「すべての国は遅かれ早かれ西洋化する」という前提が必要です。同じ西洋化というコースの上でレースをしているからこそ、アジアで「一番乗り」を果たした日本に、胜者の资格が与えられるのですから。しかし、この点でまさしく巨大な反例として日本人の前に立ちふさがるのが、みなさんの国・中国であります。少なくとも政治体制の面で、かつて韩国や台湾で起こったように、中国が西洋と同じ意味での民主主义体制になると考えている日本人は、きわめて少ない。珍しいことかもしれませんが、この点ではおそらく、みなさんの政府と同じ见解を共有しているわけであります。この时、昔であれば、「だから中国は遅れているのだ。豊かになれないのだ」と结论づけることができたので、それは日本人にとって大きなストレスにはなりませんでした。しかし実际には、中国は西洋化しないままで経済を成长させ、世界の强国に复帰してしまった。いったいこれはどういうことなのか。これまで西洋化に费やしてきた日本人の努力とはなんだったのか。かような苛立ちを自らにぶつけるなら自己否定となり、他国にぶつけるなら排外主义となるのであります。期せずして类似する中国と日本いうまでもなく、ある歴史観が现実をうまく说明できないのだとすれば、それは现実ではなく歴史観が误っています。そのためにこそ私は、西洋化ではなく「中国化」として自らのあゆみを振り返ろう、とわが国で提案をしたのでした。そしていま私は、そのような反省はみなさんの国にとってもきっと意味があると申し上げたい。なぜなら、もし19世纪以降に日本が达成したのが、西洋化ではなく「中国化」であったとすると、日中両国は现在のようにしばしば激しく対立しつつも、実际のところ同じ课题、共通する问题を抱えていることを示唆するからであります。たとえば、みなさんの国を嫌う日本人は、しばしばこう言います。「中国は金储けがうまいだけで、政治的にはいまも三流国家だ。いまだに一党独裁などという、西洋的な民主主义に反する体制のままではないか」。しかし、それでは同じ时代の日本はどうであったのか。戦后の日本では戦前と异なり、欧米诸国と同様の、かなり公正で平等な议会选挙が行われてきました。まさしくその意味では、西洋化を実现してきたわけです。ところが、そのように西洋的な选挙を行いながらも、自民党というひとつの政党だけがほぼ常に胜利し、半ば恒久的に政権を独占してきた。いわば、西洋と同じ制度を导入しながらも、「自発的に」ひとつの政党に政権を委ね続けてきたわけですから、はたして最初から「西洋とは异なる」ことを前提に一党制を采用している中国を、笑うことができるのでしょうか。そして近年、民主党という野党を中心に「政権交代可能な二大政党制」をようやっと実现しながらも、早くも日本人はそれに饱きたのか、この夏の选挙を通じて再び自民党がふたつの议院を安定的に支配する、一党优位の体制に戻そうとしているのであります。もちろん、このことは戦后の日本と中国とが、まったく同様の体制の下にあったということではありません。日本は戦后、あくまでも国家の体制としては、明白に西洋诸国と同様の议会制民主主义を导入し、また戦前と异なり、一般の国民に広范な政治的自由――たとえば言论・集会・结社・信仰の自由を认める点でも、欧米の「先进国」を模范としてきました。そのもとで多くの日本国民が官宪による暴力的な弾圧を被ることなく、平穏な日常を过ごすことができてきたことは事実でありましょう。しかし、それは戦后に成立したわが国の宪法が、彻底的な个々人の人権の保障を明记し、国家の権力に欧米社会と同様の、厳しい规制をかけてきたからであります。それに対して现在の政権党である自民党は、その宪法の人権规定が「西欧の天赋人権说に基づいて」いることを批判し、むしろ「我が国の歴史、文化、伝统」に则った人権の定义に改めるべきだと主张して、「公の秩序」のためには人権を抑制できる新宪法への改正を唱えています。少なくともそれに賛同する人々が、日本が中国よりも「欧米の人権状况に近い」ことを夸るのは、明白な矛盾といわなければなりません。日本と中国はしばしば互いに相手を、自らとは异なる社会であると思いたがる倾向があり、そして私の本にも记しましたとおり、それはかなりの程度事実でもあります。この讲演でも以下に述べますように、日本は前近代に「江戸时代」というかなりユニークな――ある意味で中国と同じくらい「世界に类例のない」社会を作り上げ、近代以降もそれを継承してきたからです。しかしながら私は、いまはむしろ、この二つの国には意図せざる类似点が多々あるのだと申し上げたい。そのことを自覚していないがゆえに、われわれは意识の上ではしばしば対立・対抗しながらも、无意识のうちに相手をコピーしてしまっているのではなかろうか。そのような気づきを与えてくれる概念として、日本は西洋化ではなく「中国化」してきたという歴史観を、捉えなおしたいと思うのであります。
「中国化」は単一性による统合原理それでは、はたしてどうして日中両国には、かように期せずして相手に似てゆく倾向があるのでしょうか。それはおそらくはみなさんの国が、世界史においてもっとも先駆的に、ひとつの文明を作り上げたことに起因するものと考えます。『白银资本』として中国语訳も出ているアンドレ・グンダー・フランクの大著が示したように、近代ヨーロッパが奇迹的な発展を遂げるまで、世界経済の中心は中国にありました。アンガス・マディソンの著名な统计が示すように、1820年の时点でも世界のGDP推计値(购买力平価で计算)のうち3分の1は中国が握り、欧米および日本の合计値を上回っていました。まさしく中国は资本主义「以前」の人类史において、覇者の地位にあったのです。しかしそのような「ひとり胜ち」の世界で、あまりにも早熟な発展をとげたがために、中国の伝统的な文明のかたちは、近代のヨーロッパとは异なるものになりました。その最大の特徴は、前近代の段阶で広大な国土の统合を达成するために、多元性ではなく単一性に基づいて秩序が筑かれたことにあります。ヨーロッパでは近代国家が作られる直前まで、王権と教皇権(カトリック教会)、大贵族や封建诸侯、自治都市など复数の在地権力が国内に散在していたため、身分制议会という场にそれぞれが代表を送って话し合う、多元的な政治势力の存在を前提とした社会体制が定着してゆきました。これが、今日でいう西洋型の民主主义、すなわち复数政党制と议会政治の起源であります。これに対して中国の场合は宋朝(960~1276年)の段阶、すなわちフランス革命(1789年)に数百年先んじる时代に、贵族をはじめとする身分制度自体を撤廃しました。隋代に导入された科挙制度を全面的に拡张して、国家の官僚を出自ではなく试験で选抜することとし、それを监督する皇帝のもとにすべての権力を一元化したのです。そのような绝対権力を正统化するために、科挙においては儒教、とりわけ南宋以降に定着してゆく朱子学という一种类の道徳的価値観が、合否の判定基准として采用されてゆきました。つまり、ヨーロッパの政治秩序が可能なかぎり、社会の価値観を多様化してゆくことをよしとするのとは异なって、中国ではむしろ「正しい思想」をひとつに绞ることによって、国土を统一し人々を纠合する统治术が编み出された 。これが、中华文明を多元性ではなく、単一性に基づく秩序であったと私が呼ぶことの意味であります。翻って、日本はどうだったのでしょうか。日本の场合は中国と异なり、伝统的に政治権力の集中性はあまり高くありませんでした。皇帝の派遣する官僚が全土を隈なく统治した中国とは対照的に、江戸幕府(年)の时代でも徳川将军家の直辖领は全国の一部に过ぎず、多くの土地は地元の世袭の封建诸侯(大名)が、それぞれバラバラに治めていました。この点では、日本にもヨーロッパと同様の多元性に基づく秩序があったように见えるのですが、しかし西洋とも异なり议会制度がなかったため、むしろそれぞれが暮らす狭い领国の范囲内で政治が完结してしまい、异なる地域の人々や発想とは対话する机会の乏しい社会が生まれました。民众もまた身分制度のもと、自らの生れた村で亲と同じ生业に就くことを要请され、いわば国民一人につき一か所だけの「正しい居场所」を指定し、そこから逸脱させないことによって秩序を安定させる试みが行われました。その意味では、ひとつに绞るものが「思想」か「居场所」かが异なるだけで、日本もまた中国と同様、多元性よりも単一性に基づく统治を行ってきた伝统を持っています。戦后长らく自民党による一党支配が続いてきたのも、日本の人々が议会政治に复数の価値観どうしの対话というより、自らの居住地(选挙区)の代表が参加しているという感覚を求めてきたからでした。そして実际、あたかも前近代の村落社会のように流动性の低い雇用惯行のもとで、日本人は一生涯でひとつの会社のみにしか勤めないという终身雇用の企业文化を作り上げ、それが世界経済を牵引する高い生产性を上げているかぎり、选択肢がひとつに制限されていることへの不満は吸収されてきたのであります。1970年代末、奇迹の高度成长を実现しオイルショックも乗り切ったころ、かように多元性ではなく単一性に基づく日本社会のあり方は『ジャパン・アズ・ナンバーワン』と呼ばれ、欧米人にまで羡望の的となりました。そしていま、やはり90年代以降一贯して成长を続け、リーマン・ショックから最も早く立ち直った中国の経済运営が注目を集め、一党制だからこそ可能な『北京コンセンサス』が、米国流のワシントン・コンセンサスに代わって世界を席巻するという予测すら语られています。その意味においては、単一性に立脚した秩序が多元性に基づくそれを上回り、打ち负かす局面は、歴史上确かに存在しうることを认めるべきでありましょう。戦后日本の反省を中国の粮にしかし问题は、その胜利がどの程度の永続性を持ちうるかであります。80年代に土地投机が顶点に达し、また工业制品の输出攻势によってアメリカさえも圧倒した后に、日本の経済はバブルの破绽によってあえなく不况に転落し、政治的にも见るべき成果のない停滞が続いています。はたして中国のみなさんもまた、それと同じ辙をたどってしまうのか。それとも隣人の失败を自らの粮として、异なる进路を探すことができるのか。まさしくそのことを、いま日本のみならず世界の人々が、注视しているのであります。このとき私たち日本人は、西洋化ではなく中国化という道をたどってきたからこそ、高度成长の后にみなさんと共有することになる课题について、反省とともに语ることができます。ひとつは、急速な工业化にともなう环境の破壊の问题。もうひとつは、成长の利益を大きく受けられる人と、そうでない人とのあいだで拡大する格差の问题。そしてみっつには、両者の背景にある人口の问题。かつて1960年代、日本の高度成长を支えたのは农村から都市への自由な人口移动と、いまだ高齢者に対して働き盛りの世代が多いことから生じた人口ボーナスでした。しかし农村の余剰労働力が底をついて移住が止まると成长は减速し、さらに都市生活の必然としての少子高齢化が、社会福祉の持続可能性に不安を投げかけています。このことは、人口移动に関しては戸籍制度による限界を抱え、また产児制限が成功したことの副作用として、これから急速な少子化を迎える中国のみなさんにとっても、必ず参考となる経験であろうと信じます。そして高度成长の时代、日本列岛の环境悪化はひどいものでありました。工场近くの住居は煤烟で窓ガラスが黒く染まり、悪臭漂う石油コンビナートの周囲では児童がマスクをして学校に通い、都市部は大気汚染で太阳がみえず目も开けるのが苦しい日々が増え、企业が垂れ流した汚染物质によって発生した奇病を、政府が放置することさえありました。このとき完全な破局を免れたのは、脆弱ではあっても日本に存在した多元性の効用であります。学问と报道の自由が宪法によって守られ、言论の多様性が存在したことが、公害病の摘発と対策を可能にしました。国政では决して政権を胁かすことはなかったとはいえ、マルクス主义を奉じた野党势力が70年前后に革新自治体として地方政治の运営にあたり、はじめて环境问题に本格的に取り组んだことが、结果として国をも动かしていきました。欧米诸国に比べればはるかに制约されていたとしても、限定されたかたちであれ国内に多元性が存在することが、最后には国益に资するのだということを、私は戦后日本の教训としてみなさんにお伝えしたいと思うのであります。そして、単一性に基づく秩序というもの自体もまた、まさに自らが信じる唯一の信念のなかに、自らを省みる、相対化する契机を备えていることによってこそ、はじめて机能するのだということに注意を払わねばなりません。孔子様も言っておられます。――「过ちて改めず、是を过ちと谓う」(『论语』卫霊公篇)。たとえば儒教の徳目を掲げて政治を行う场合は、なによりもまず为政者自身が、自らの统治がその徳目にふさわしいものとなっているのかを绝えず反省し、过っていたら改めねばなりません。同じように国家が自らの理念を掲げるなら、その理念に照らせば自国の现状にはいまだ至らぬ点が常に残るだろうことを认め、少しでも现状を理念の方へと近づけるように、不断の努力を続けなければならないのであります。逆に、自らの国がもはやその理想を体现している、「正しい思想」に则ってなにひとつ间违った点はないと思い上がった时、その秩序が掲げてきた価値観は単なる夜郎自大と化してしまうのです。
よりよき「中国化」と「西洋化」の一致を実はこの点においては、たとえば自由、平等、民主、人権といった、西洋化に伴うものとされる価値観も同様であります。平等というものは、现状よりもっと平等な秩序を希求し続けることによってのみ、その価値を実现できる。そもそもは有产者の白人男性のあいだにしか适用されてこなかった「平等」や「民主」の考え方が、やがて贫しい人々や女性や多様な人种・民族にも该当すべきものだと捉え返されることによって、はじめて欧米诸国においても実のあるものになっていった。一方で、かつてわが国が大东亜共栄圏という、一见するところ普遍的な植民地解放の理想を公称しながら、日本人にも中国人にも巨大な惨祸のみを残して自灭していったのは、自らがそのような理想的统治を「すでに実现している」と自惚れたためであります。私はその反省に立つがゆえにこそ、「自由と民主主义」を理念として掲げるアメリカに対してであれ、「中华と共产主义」を冠するみなさんの国に対してであれ、决して同じ失败を缲り返してほしくないと切に愿うのであります。中国系のアメリカ人女性であるエイミー・チュア氏はその著书で、まさしく日中米を含めた人类史上の诸帝国を比较検讨した结果、繁栄の条件は多様性への寛容にこそあると结论づけておられます。ヨーロッパの歴史を振り返っても、ユダヤ教徒を迫害したスペインは衰亡し、逆に宗教的な寛容を掲げて独立したオランダが、スピノザ、デカルト、ロックといった新时代を切り开く思想家を生み出す触媒となりました。第二次世界大戦以降、西洋の帝国主义国の多くが覇権を失うなかでアメリカだけが残ったのも、领土の拡张ではなく人材の吸引こそが真に国益の基础になるものと考え、他国を排除するためのものではなく、むしろ世界の人々に爱されるかたちになるように、自国の理念がもつ普遍性を研磨し続けていったからだと、同氏は述べています。みなさんの国には、人类史上初めて身分制を撤廃し、天下に通ずる徳目の下に出自や民族を问わず、広く有志を募ろうとした辉かしい歴史があります。そしてわれわれの国も、かつての误った戦争を二度と缲り返すまいと誓い、平和の理念を掲げて数十年を歩んできました。その両国がいま领土や歴史をめぐって争い、自らの単一性のもとに互いに排除しあうのは、决して幸福なことではありません。むしろ単一性に基づく社会であるにせよ、それを异なる国の人々の视线を踏まえてより普遍的なものへと磨き上げることで、私たちは「中国化」と「西洋化」の良质な部分を、一致させることができるのではないか。西洋化として语られてきたわが国の歴史を、中国化として捉えなおす新しい歴史から、そのようなよりよき新时代の日中関系に向けた教训を汲みとっていただくことができるなら、これに胜る喜びはありません。
【译文】步入绝路的“西洋化”传说北京的各位同学和老师,你们好! 我就是最近刚出版的《中国化的日本》一书的原作者,我叫与那霸润。这本书本来只是为日本读者写的有关日本历史的书,今天第一次在中国这里讲有关问题,心里不免有些紧张。 我希望各位能把我所用的“中国化”一词当做与“西洋化”相对的概念来理解。就是说就像把“变成类似欧洲那样的社会”称作“西洋化”那样,我们把“变成类似中国那样的社会”也能称作“中国化”。我希望通过这本书向日本读者传达的是,用这一概念,实际上能够比迄今为止更清楚地理解日本历史的进程。 我们日本人习惯于把19世纪以后自国的历史理解为“西洋化”。而这样的时候常常伴随着在亚洲只有日本“西洋化”成功了这样一个小小的自豪和自尊心。但是我们日本人正在失去这种自信。虽然早就有人指出日本进入“衰退”时期,但是日本还是一个比诸位的国家富裕的国家。国内生产总值(GDP)世界第二的宝座虽说已经让给了诸位的国家,但是如果只看国民平均值的话,还是完全可以高枕无忧的。话虽如此,但是如果说最近的日本人似乎在某些方面失去了咄咄逼人的气势,那不外乎是在近些年来全球化浪潮下这种自尊心受到了双重意义上的伤害而已。 说双重意义上的伤害指的是这么回事。首先是已经不好说只有日本“西洋化”成功了。实行反共军事独裁统治多年的韩国和中国台湾地区,随着冷战结束实现了民主化,成功实现了总统和议会的直接选举。看家本领的电机产业也被韩国的三星公司领先,在世界市场上没有一家日本公司能够对抗三星了。其结果是能够满足“没有输给周边国家”的自尊心的,只有自吹日本人的“民族性”优于其他民族了,日本的“历史”与近邻诸国不同,没有丝毫污点之类的露骨的民族主义和种族歧视主义了。举例说这种构造就成为绑架东亚全体,经常出现的“历史问题”的背景。 还有一重意义是,全世界所有国家是否真的就一定应该“西洋化”?也就是说日本人对将来的展望没有信心了。要想把在亚洲只有日本“西洋化”了作为日本比其他国家优越的证明,就需要“所有的国家不论迟早都得西洋化”这个大前提。因为只有在同一个西洋化的跑道上赛跑,“第一个跑到终点”的日本才有胜利者的资格。但是正是在这一点上作为一个巨大的反证,阻挡在日本前方的就是诸位的祖国中国。至少在政治体制上,很少有日本人认为中国会像当年韩国台湾那样变成西洋意义上的民主主义体制。虽然很少有,但在这点上,大部分日本人恐怕跟贵国的政府有着共同的观点。 这样的时候,如果在过去,可以得出结论说“所以说中国落后,发展不起来”,日本人也不会觉得有多么大的问题。但是实际上,中国没有西洋化就实现了经济发展,回到世界强国的行列里来了。这到底是怎么回事呢?到今天为止我们日本人为了西洋化费的那些力气到底是什么?把这种焦躁感如果抛给自己那就是否定自己,抛向其他国家,就成了排外主义。 【不约而同的中国和日本】 毋庸置疑的是,如果某种历史观不能令人信服地解释现实的话,那绝不是现实错了,而肯定是那种历史观错了。正因此,我在我们日本提出了不是用“西洋化”,而是用“中国化”这一概念来回顾和解释我们自己的历史的观点。而此时,我想说的是,这种回顾对于贵国也肯定是有意义的。为什么这么说呢?因为这可能暗示着,如果19世纪以后日本达成的不是“西洋化”,而是“中国化”的话,那么日中两国目前虽然常常激烈对抗,但实际上却有着同样的课题、共同的问题。 比如不喜欢贵国的日本人常常这样说:“中国只是会赚钱,政治上其实不怎么样。直到现在还是坚持着与西洋的民主主义相反的政治体制。”但是与此处于同一时代的日本的情况又是怎么样的呢?战后的日本与战前不同,实行了与欧美诸国相同的,在一定程度上也是很公正和平等的议会选举。也正是在这个意义上,可以说实现了所谓的“西洋化”。但是虽然实行了这样的西洋式选举,可是只有自民党这一个政党却一直取胜,半永久性地独占着政权。也就是说,虽然引进了与西洋相同的政治体制,但却“自发的”把政权一直交给一个政党来执政,所以到底是不是能嘲笑当初就在与“西洋不同”的前提下建立了个GCD领导下的的中国呢?最近几年虽然以民主党为中心的在野党好不容易实现了“可以交替执政的两大政党体制”,可是我们日本人却已经开始感到腻味了,今年夏天参议院选举就可能实现自民党在众议院和参议院的安定性支配,确立原来的一党优位的不动地位。 当然我不是因此就说战后日本和中国实行的就是一种完全相同的政治体制。不管怎么说,日本战后的国家体制显然还是引进了与西洋各国同样的议会制民主主义,而且与战前不同,在一般国民能享受广泛的政治自由--比如说承认言论、机会、结社、信仰的自由等方面,也是以欧美“发达国家”为榜样的。在这种体制下,大部分的日本国民确实没有受到国家暴力的镇压,一般都能过着平稳的日常生活。这都是事实。但是那是战后制定的我们国家的宪法明确规定彻底保障每个个人的人权,对于国家权力,与欧美各国同样,规定了严格的限制的结果。对此,现在的执政党自民党却批判现在的宪法的人权规定,认为那“根据的是西方的天赋人权观点”,主张应该改写成适合“我国历史、文化、传统”的人权定义,提倡为了“公共秩序”可以限制人权的新宪法。至少对此表示赞同的那些人,如果自夸自赞日本比中国更“接近欧美的人权状况”,那不能不说他们显然是自相矛盾。 日本和中国都有经常互指对方与自己的社会不同的倾向,正如我在本书中所述的那样,这在某种程度上也是事实。本次的讲演下边也要提到,日本在前近代创造了“江户时代”那样的一种很特殊的--在某种程度上与中国同样“举世罕见”的社会,近代以后还一直继承下来。但是我现在更想说,这两个国家其实有很多不约而同的地方,有很多类似点。因为对这些类似点没有意识到,所以我们在意识上经常对立或对抗,可是下意识的却在复制着对方。我希望各位把日本不是“西洋化”,而是“中国化”的这一历史观,作为能提醒我们意识到这一点的一个概念来认识。
【“中国化”是基于单一性的统合原理】 那么,到底为什么日中两国会有不约而同地互相拟似的倾向呢?这可能是因为诸位的这个国度在世界历史上创造出了一个最为先进的文明之故。被翻译成中文的弗兰克《白银资本--重视经济全球化中的东方》一书指出,在近代欧洲奇迹般发展以前,世界经济的中心在中国。安格斯·麦迪森(AngusMaddison)著名的统计数字显示,1820年全世界GDP推算值(按购买力平价计算)中的三分之一被中国垄断,超过了欧美以及日本的总和。这足以说明在资本主义“以前”的人类史上,中国一直占据着霸主的地位。 但是这种“一枝独秀”的世界,因为发展得太过于早熟,中国传统的文明形式,与近代欧洲的文明就有了区别。其最大的特征是,为了在前近代的历史阶段做到统一广大的国土,没有建立多元性的,而是建立了基于单一性的社会秩序。欧洲直至建立近代国家时为止,各国内因为存在王权、教皇权(天主教会)、大贵族和封建诸侯、自治城市等多种权力,因此他们就要向身份制议会派送代表共商大事,所以自然而然形成了以多元性政治势力共存为前提的社会体制。这就是今天所谓西洋型民主主义,也就是多党体制和议会政治的起源。 与此相对,中国在宋朝(960-1276)阶段,也就是比法国大革命(1789)早几百年的时代,完全废除了以贵族为代表的身份制这一制度本身。全面扩大了自隋朝开始的科举制度,国家的官僚不是看出身,而是通过考试选拔,在监督官僚的皇帝以下实现了所有权力的一元化。为了实现这种绝对权力的正统性,在科举考试中采用了儒教,特别是南宋以后出现的朱子学这种道德价值观作为判定合格与否的标准。也就是说,与欧洲社会尽最大可能保持价值观多样性的政治制度不同,中国毋宁说是编造出了通过把价值观限定在一个“正确的思想”中来统一国土,纠合民众的统治权术。这就是我认为中华文明不是多元性,而是建立在单一性基础上的秩序的缘故。 反观日本又是一种什么情况呢?日本与中国情况不同,传统上政治权力的集中性不高。与皇帝派遣的官僚统治全中国角角落落不同,即使江户幕府()时代,德川将军家直辖的领地在全国也只是很少一部分,大部分的土地都被当地世袭的封建诸侯(大名)分别统治。在这点上,看起来日本似乎也有着与欧洲同样的基于多元性的社会秩序,但因为与西洋也不同,没有议会制度,其实政治是在各自狭小的领地范围内完结的,结果出现了缺乏与不同地域的人和思想进行交流的机会的社会。民众也在身份制社会里,被要求在自己出生的村子做与父辈相同的家业,就是说规定国民每个人只能在一个“正确的地方”,不能脱离那个指定的地方,试图由此确保社会秩序的安定。 从这个意义上看,束缚为一体的只不过有着“思想”或“地方”的区别而已,其实日本也与中国同样,不是多元性,而是有着基于单一性的统治传统。战后自民党能够长期保持一党统治,就是因为人们并没有认为议会政治应该是复数的价值观的对话,而追求的是自己居住地,也就是选区的代表参加议会这种感觉而已。而且事实是,在类似于前近代的村落社会那样的几乎没有流动性的雇佣惯行下,我们日本创造出了一个人一辈子只在一家公司工作的终身雇佣的企业文化,而且只要能保持牵引世界经济增长的高效率生产性,选择项被限定成唯一一个的不满也就一直被吸收。 1970年代末期,日本实现了奇迹般高度增长,克服了石油危机后,这种不是基于多元性,而是基于单一性的日本社会的形态被称作“JapanasNumberOne”,成为欧美人羡慕的对象。而现在,1990年代以来一直保持高度成长,最早克服雷曼冲击波带来的影响的中国的经济运作模式受到关注,甚至有人预测正是因为一党制才可能成立的“北京共识”,终有一日要取代美国式的“华盛顿共识”,席卷全世界。在这个意义上,我们不能不说基于单一性的秩序超越并击败基于多元性的秩序的局面,在历史上确实是可能会出现的。 【日本战后大发展时期对中国的参考意义】 但是问题是,这种胜利到底能保持多久?1980年代土地投机达到顶点,而且工业产品的出口攻势连美国都压倒后,日本经济因为泡沫破灭一下就陷入萧条,政治上也没有什么值得称道的成果一直停滞不前。那么到底中国人和中国,是重蹈与日本同样的覆辙,还是把邻居和邻国的失败当做自己的教训,能够寻找到一条不同的前进道路呢?唯有这一点才是包括日本人在内的全世界人现在最为关注的地方。 这样的时候,我们日本人正因为走的不是西洋化道路,而是一条中国化道路,所以能就高度成长后与诸位共有的课题,在反省的同时进行讲述。首先是急速工业化带来的环境破坏问题;其次是存在于大获成长利益的人和没有获利的人之间不断扩大的差距问题;第三是存在于上述两个问题背后的人口问题。当年1960年代,使日本经济高度增长成为可能的是从农村到城市的人口自由移动,以及至今还是劳动人口多于高龄人口产生的人口红利。但是农村剩余劳动力没有了,从农村到城市的人口移动停止后,经济的成长就开始减速,而且城市生活必然带来的少子高龄化,给社会福利是否能够持续带来不安。我相信这一点,对于在人口移动问题上有着户口限制,以及作为计划生育成功的副作用,今后将面临急速少子化的中国各位,肯定具有参考价值。 在高度经济增长期,日本列岛的环境极端恶化。工厂附近的民家玻璃窗被煤烟熏黑,在充满恶臭气味的石油化工厂附近儿童们戴着口罩上学,城市因为大气污染严重太阳都看不见,眼睛也睁不开的日子越来越多,企业放流污染物质引发奇病,政府竟然也置之不管。在那样的危机时候勉强避免了完全破局的,是虽然脆弱但在日本还存在的多元性发挥了效果。学问自由与新闻自由受到宪法保护,社会上存在的言论的多样性,使得公害病的发现和采取对策成为可能。虽然在国家政治层面不可能对自民党政权带来威胁,但信奉马克思主义的在野党势力在70年前后作为革新自治体掌握了地方的政治,开始正面应对环境问题,其结果国家也坐不住了,也动了起来。作为战后日本的教训,我想把这种与欧美诸国相比虽然受到极大限制,但是在有限范围内还是存在的多元性,最后给国家利益做出贡献这一现象,传达给诸位。 而且,我们必须意识到,基于单一性的社会秩序本身,正是在自己信奉的唯一的信念中,具备有反省自己、相对化自己的机制,才能发挥效用。孔子也说过:“过而不改,是谓过矣”(《论语·卫灵公》)。比如说如果要以儒教的德目来搞政治的话,那么首先为政者自身应该不断反省自己的统治是否合乎那些德目,如果有过失就必须改正。同样,一个国家如果要高举自己的某种理念,就应该承认对照那些理念自己国家的现状总是还有不尽人意之处,为了尽可能使现实接近理念,就要不断努力。相反,如果觉得自己的国家已经体现了那些理想,完全合乎“正确思想”的要求,没有一点问题了,这样的时候,那这个社会秩序所揭示的价值观只不过是堕落为夜郎自大而已。
【实现“中国化”和“西洋化”更好的一致】 其实在这一点上,所谓的自由、平等、民主、人权等伴随西洋化的那些价值观也是一样的。平等这种东西,只有不断追求比现状更为平等的秩序,才能实现其价值。本来当年只是适用于有产阶级的白人男性的所谓“平等”和“民主”等想法,后来因为认为应该并扩大到穷人和女性以及其他人种和民族,才终于在欧美各国开花结果。相反的,当年我们日本号称要建设大东亚共荣圈这种表面看起来好像是普遍的解放殖民地的理想,结果是不但给中国人民,也给日本人民带来了巨大惨祸,最终只落得个自取灭亡的下场,那就是因为自认为“已经实现了”那种理想的统治。正是因为立足于对这一点的反省,我才衷心希望,针对高举“自由与民主主义”理念大旗的美国,冠戴“中华和共产主义”礼帽的贵国不要重蹈失败的覆辙。 华裔美国人蔡美儿在其大作中,通过对包括日本、中国、美国在内的人类历史上的各个帝国进行比较分析,得出的结论是繁荣的条件就在于对多样性的宽容。回顾一下欧洲的历史也能看出,迫害犹太教徒的西班牙走向衰落,相反的对宗教采取宽容态度的荷兰却催化了斯宾诺莎(BaruchdeSpinoza)、勒内·笛卡儿(RenéDescartes)、约翰·洛克(JohnLocke)等开拓新时代的思想家出现。蔡美儿指出,第二次世界大战以后,西方大多数帝国主义国家都失去了霸权地位,而唯独美国能够继续霸权世界,就是因为美国认为真正能给国家带来利益的基础不是领土的扩张,而是人才的吸引;不是为了排除其他国家,而是为了被全世界的人民所爱戴,才不断追求自国的理念所具有的普遍性。 各位听众的这个国度有着在人类历史上最早废除身份制,在通用天下的道德理念下不问出身和民族,广泛征集人才的光辉历史。而我们日本,也誓言坚决不再重复过去的错误战争,高举和平理念走过了战后这几十年的历程。但这两个国家现在却为领土和历史互相指责,以自己的单一性排斥对方,这绝不是一件幸福的事情。毋宁说我们哪怕是坚持自己基于单一性的社会,但也应该考虑其他国家人们的视线,把自己的理念磨练成具有更为普遍性的理念,我们难道不能把内存于“中国化”和“西洋化”中的各自优点结合到一起,找到其一致之处吗?如果把长期以来一直作为西洋化理解的我们日本的历史,重新作为中国化来理解,如果能从这种新的历史观中,找到通往上述新时代的日中关系的教训,那我将感到无比欣慰。
【作者绍介】与那霸润,1979年生。东京大学教养学部超域文化科学科毕业。同大学院(研究生院)综合文化研究科地域文化研究专攻博士课程毕业。博士(学术)学位。历任日本学术振兴会特别研究员等,现任爱知县立大学日本文化学部历史文化学科准教授。专业为日本近现代史。尝试立足日本,展望东亚,致力于把结晶成创作形式的经验也作为研究素材,探索历史学的新表现。专著:《翻译的政治学--近代东亚世界的形成与日琉关系的变容》(岩波书店)、《帝国的残影--士兵·小津安二郎的昭和史》(NTT出版)等。最新作品有《“日本历史”的终结:变化的世界,不变的日本人》(合著、PHP研究所)。
富江每天看多少书?
写的很不错,开头乍看以为是保守式的文章,看到后面才知是分析中式和西式文化思想的差异与冲突。但在我看来,重要的是在规避单一化政治结构的弊端这点上,更加合乎日本和中国的现状
在书店里看了这书,当时觉得如果能当着作者的面把书狠狠撕开就好了,水平还不如俞天任。作者对中国式民主的辩护实在恶心,一股“坚决拥护党中央”和“你奈我何?”的味道,而且为了衬托共产党的英明还把日本民主制度拉下水。不过不这样唱赞歌的话,这本书也不会被允许出版了。
哪边都不得罪的文章,谁都看着舒服,但是解决不了问题。
中国是苏俄鞑靼化
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