伞日语翻译【伞を忘れたふりをするから声をかけて】、什么意思怎么翻译?这个ふり怎么解释?

星晴れの空はうつくしかつた、朝露の道がすが/\しい、歩いてゐるうちに六時のサイレンが鳴つた、庵に放つたらかしマヽおいた樹明君はどうしたか知ら!

駄菓子のお婆さんが、よびとめて駄菓子を下さつた

山口の農具展覧会行だらう、自転車と自動車とがひつきりなしにやつてくる。

山のみどりのこまやかさ、蜩のしめやかさ

真長田村――湯ノ口近く――で、後からきた自動車がすつと止まる、そして洋服姿が出てきて、にこにこしながら近づく、敬君だ、まるで予期したやうな、約束したやうな邂逅だ、自動車に乗ることだけは断つて、今夜はゆつくり飲むことにする。

湯ノ口行乞、伊佐へ左折しないでまつすぐ大田へ、夕立がやつてきた、濡れて歩く、あんまり降るから、とある農家に雨やどりして、そこの老人と世間話をする、誰もが話すやうに不景気々々々

十二時すぎにはもう敬治居にくつろぐことができた、敬君は御馳走こしらへにいそがしく、私は風呂水をくむ、奥さんも子供さんも留守だから、まるで其中庵の延長――物資の豊富はいはない――みたいなものだつた。

うまい酒(一週間ぶりの酒だ)うまい飯(敬君炊ぐところの)を腹いつぱい詰め込んだ

大夕立、まことに大雨大雷だつた、これで二人の憂欝は流れ去つてしまつた。

敬君が跣足で尻端折で畠の草を取る、私は寝ころんで新聞を読む、ユカイ/\

法衣の洗濯、一年ぶりの垢を洗つた、敬君に理髪して貰ふ、さつぱりした。

夜はまた酒、敬君は腹痛で注射をしてもらつたりしたが、私はぐつすり寝ることができた

とにかくたのしい日であり夜であつた。

?みちは露草のつゝましい朝明け
 さかのぼる水底の秋となつてゐる
 小亀がういて秋暑い水をわたる
 旅の法衣のはらへどもおちないほこり
 つくり酒屋の柳いよ/\青し
?けふのおひるは草にすわつてトマトふたつ
 昼寝のびやかだつたよ山とんぼ
?山をまへに流れくる水へおしつこする
?昼顔も私も濡れて涼しうなつた

行程五里、所得は十六銭と六合

四時には二人とも起きた。

敬君はまた草取、私は風呂焚だ

朝湯朝酒はゼイタクすぎるうれしさだつた(私共の酒量も減つたものである、二人で三度飲んで、やうやく一升

が空になつたぐらゐである)。

御飯を炊きすぎたといふので、敬君が大きな

七時半出立、秋吉をへて伊佐へ

途上しば/\休んだ、朝酒がこたえたのである。

或る山寺で例のおむすびを味つた、親友の心持がしみ/″\と骨身にしみた、その山寺の老房守さんもしんせつだつた、わざ/\本堂の障子をあけはなつて、私を涼しく昼寝させて下さつた

午後二時から四時まで伊佐行乞。

行程五里、所得はいつもの通り

この宿――豊後屋といふ――はやつぱりよかつた、同宿者のおしやべりには閉口したけれど、一室一燈一張のよろしさだつた、便所のきたないのはぜひもない。

隣家のラヂオを蚊帳の中に寝ころんで聴く、三十三間堂柳の佐和利、泣くわ/\

?こゝで寝るとする草の実のこぼれる
 よい娘さんがゐる村のデパートで
?萩さいてそこからなんとうまい水
?山寺のしづけさは青栗もおちたまゝ
 おべんたうたべてゐるまうへつく/\ぼうし
 地べたへべつたりはらばうた犬へ西日
?旅のつかれもほつかりと夕月
?蚊帳のなかまで月かげの旅にゐる
 月が山の端に安宿のこうろぎ
?旅も月夜の、おとなりのラヂオが泣いてゐる
?からりと晴れた法衣で出かける

寝すごした、それほどよく眠れたのである。

朝のうちは伊佐行乞、それから麦川へ、途中あまりだるいから村の鎮守の宮で昼寝、涼しい社殿だつたが、村の悪童共の集合所でもあつたので騒々しかつた、それでも二時間ぐらゐは寝たらう

おひるは報謝のお菓子二きれですます。

二時から四時まで麦川行乞、西市へ樾すつもりで山路にかゝつたが、平原といふところで宿を見つけたので泊つた、豊田屋、悪い宿ではなかつた

同宿の若い坑夫さんと屾の観音様へ詣でた、一年一度のおせつたいがあるといふので、近村のおぢいさんおばあさんが孫を連れておほぜい詰めかけてゐた、屾村風景のおもしろい一枚である。

夕飯は、さしみと豆腐汁と煮豆と茄子漬、なかなかの御馳走だつた、ことに前は造酒屋だから、飲みすごしたのも無理はなからう!

?うらは山で墓が見えるかな/\
?かな/\ゆふ飯がおそい山の宿
?よい宿でどちらも山でまへは酒屋で
?宵月がみんなの顔にはだかばかりで

行程二里、所得は銭六十二銭、米一升九合

早起して散歩した、同室者の人間臭にたへなかつたからである、人間の姿よりも山の姿がよろしい。

踏みだした一歩がもう山路である、石ころを踏みしめてすゝむ、桃の木といふ部落には特殊な色彩と音響とがあつた、こゝが大嶺無煙炭山である、ここで採掘した炭塊を索道で麦川へ送るのである

西市へはかなり遠かつた、萩、女郎花、刈萱、白い花、赤い花が咲きみだれた道で、私の好きな道であつた。

途中行乞しなかつたが、三里を三時間かゝつて、十時から十一時まで西市行乞、行乞相はよくなかつたが、所得はよかつた、私は西市に頭を下げなければならない

五時、田蔀の藤本屋といふ安宿に泊つた、よい意味で、また、わるい意味で、安宿の代表的なものであつた、この宿でも一室一燈一張の主人であることができた。

今日の所得(銭――九十六銭、米――マヽ十二銭)
今晩の御馳走(烏賊のさしみ、馬鈴薯の煮付、茄子漬瓜漬)

今日の行程(麦川から西市まで三里、多くは山路)
      西市から田部まで二里、多くは平地
?はるかにかな/\の山の奣けたいろ
?岩ばしる水をわたれば観世音立たせたまふ
?住めば住まれる掘立小屋も唐黍のうれてゐる
?ひよつこり家が花がある峠まがれば
?炭車が空を山のみどりからみどりへ
 萩に萩さき山蟻のゆきき
?坑口マブから出てきてつまぐりの咲いてゐる家
?かるかや、そのなかのつりがねさう
?あすは二百十日の鴉がたたかうてゐる
?妻子に死なれ死を待つてゐる雑草の花
?秋暑いをんなだが乳房もあらはに

晴、八朔、二百十日の厄日である、関東大震災十週年、何といふおだやかさ。

七時から十時まで岡枝及び田部行乞、それから歩む、小月は行乞しないで、清末のところ/″\を行乞する、疳癪がおきてしようがないから酒屋で一杯いたゞきたいといふたらお斷り、カリウチは出来ませんといふ、それでは鉄鉢へ入れて貰ひましよう、酒の出したのがありません、といつたやうな問答、いよ/\疳の虫がおさまらない、やつと或る酒屋で一杯ひつかけると、すぐおさまつた、まことに酒は疳の妙薬でありまする

ぶらりだらりと長府町へはいつて裏道を歩いてゐたら、ひよつこり黎々火君に出逢つた、偶然にしてはあまりに偶然すぎるが、訪ねてゆく途上で出逢ふたのはうれしい、さあ、ようこそと迎へられて、まず入浴、そして、つめたいうまい水を腹いつぱい飲むことは忘れなかつた。

かういふ家庭の雰囲気にひたると、家庭といふものがうらやましくなる……

心づくしのかず/\の御馳走になる。

明月、涼風、籐椅子、レコード、物みなよろし

橋の名にもいろ/\あるが。――
夜長橋、月見橋、納涼橋などは風雅で、しかも嫌味がない、解り易くて偠を得てゐる、日本の田舎の橋らしい名である

?山桐のかたまつて実となつてゐる
?この山里にも泊るところはあるかなかな
?制札にとんぼとまつてゐる西日
?こうろぎ、旅のからだをぽり/\と掻く
?日ざかりの石ころにとんぼがふたつ
?なんとすずしい松かげに誰もゐない

所得、銭五十三銭と米一升六合。

おひるはまたお酒をいたゞいた、行乞米を貰つて下さつてお布施を下さつた、襦袢の手入、浴衣の洗濯、そして褌まで頂戴した、黎々火さんはほんとうによい肉縁の人々を持つてゐる、お父さんの温情、お母さんの慈愛、あゝ羨ましい

二時お暇乞する、二人で下関へ出かけるのである、途中で沢田さんといふ方に招かれてちよつと話す、色紙に悪筆を揮ふ。

電車で下関へ着いたのは四時頃、茶碗、シヤボン、本、小刀、インキ等を買ふ、そして本町の馴染の宿へいつて荷物を預け、浴衣に著換へて、日和山公園へ登つて下つて、地橙孫居を訪ねた

会談一時間ばかり、そこを出てから(結城孫三郎のあやつり人形見物はやめにして)やたらに歩きまはつた、ネオンサインのうつくしさ、デパートのさわがしさ、飲んだり食べたりのいそがしさ。

十時頃、駅附近で西と東とに別れた、黎々火さんはあたゝかい家庭へ、私はうるさい安宿の二階へ

 琴がならべてある涼しい風
?手入とゞいた松をはなれない月のあかるさ
?腹いつぱいの月が出てゐる
 月から風が、籐椅子の酔心地
?感じやすくて風の蘭竹のおちつかない旅
?燈に灯が、海峡の月冴えてくる

明けても酔がさめない、湯にとびこむ、一杯ぐつとひつかける、そしてやつぱりこゝからひきかへすことにきめた、何となく身心が不調で気がすゝまない、海峡を渡るだけの元気が出てこない。

歩けるだけ歩くつもりで歩く、赤間宮参拝、しみ/″\としたものがあつた、句は一句もできなかつたが、しかしそれで十分だ

だん/\と時化てきた、風が強く雨がふりだした、びつしより濡れたけれど、関門風景がよろしい。

長府を通りすぎて、王司村を一時間ばかり行乞した、帰庵しても、米がない石油がない醤油がないから

小月は競馬で人出が多い、三時の汽車に乗る、嘉川着四時二十分(小郡下車だと六銭多くかゝる、私の倹約も必要からだが、ホンモノである)。

途中、刈萱を摘んで帰庵したのは五時近かつた

?しらなみ、ゆうゆうと汽船ふねがとほる
 波音の霽れてくるつく/\ぼうし

[#改ページ] 九月三日

六時まへに帰庵、さつそく水をくみ、火を焚き夕餉の支度をする。

によくうれてゐた、すぐもいでたべる、うまい/\

かるかやを活ける、よいかなかるかや。

風も何のその、手足をのび/\と伸ばしてぐつすり寝た

   とりとめもない言葉
死は生の解決ではないけれど、それが休息であることは疑へない。
生に清算はありえない、清算がありえないほど、かぎりなく伸びてゆくのが生である
生の決算! それは死だ。
生の破算! それも死だ

朝焼、曇、雨、厄日頃らしい天候。

はおもしろい、留守の間に咲いてゐた

樹明君がきてくれた、その憂欝な顔、私も憂欝だつた。

秋、秋寒を感じる、蚊が尐くなつた、夜は晴れて月がよかつた

?陽がとゞけば草のなかにてほほづきの赤さ
?つく/\ぼうしもせつなくないてなきやんだ
?秋空の井戸がふかうなつた
?雲が澄む水を汲むげんのしようこの花

秋晴、終日寝ころんで読む、牧水の紀行文集を読んでゐると一杯やりたくなる。

とても行乞なんか出来ない

悪夢――鮹にとりつかれた夢を見た。

夕方、樹明来、久しぶりに飲む、うまい酒だつた、君はおとなしく帰つた、私もおとなしく寝た

月もよい、虫もよい、よくないのは人間だ。

「松」の裸木追悼号を読んで、あれやこれや栲へさせられた

?草ふかく木の実のおちたる音のしづか
 ひとりでだまつてにがい茄子をたべることも
?かへるより障子あけるより風鈴のなる
?法衣のやぶれも秋めいた道が遠くて

今朝は食べるものがない、梅湯(茶もないから)を飲む。

行乞気分にはどうしてもなれない、やうやく米一升捻出した

まことに我がまゝ気まゝな一日だつた。

秋空一碧、けふも休養する

だるく、ものうく、わびしく、せつなく。……

日本晴、清澄明徹いはんかたなし

今日はどうでもかうでも行乞しなければならないので、午前中近在を歩いた、行乞相は満点に近かつた(現在の私としては)。

歩くとよくわかる、私の心臓はだいぶんいたんでゐる

歩いたおかげで、今日明日は

芙蓉、紫苑、彼岸花が咲いてゐた、芙蓉はとりわけうつくしかつた、日本のうつくしさとおごそかさとを持つてゐる。

今朝はうれしかつた、大山澄太さんのハガキが私を涙ぐましたほどうれしかつた

、その心を捨てきらなければならない。

に私の生活に入り私の句作をすることができるやうになつた、おそらくはこれが私の

新聞をやめたので(旅に出がちでもあり、借銭がふえもするので)、何だか社會と離れたやうな気がする、物足らないと同時に気安にも感じる

今日は歩いてきて、そして昼寝もしないのに、どういふものか、一番鶏が鳴いて暁の風が吹くまで眠れなかつた、いろ/\さま/″\の事が考へられる、生活の事、最後の事、子の事、句の事、そしてかうしてゐても詰らないから一日も

く広島地方へ出かけたい、徳山に泊るならば、明日立ちたいけれど汽車賃がない、貧乏はつらいものだ、などゝも考へた、しかしながら

その貧乏が私を救ふたのである

、若し私が貧乏にならなかつたならば、私は今日まで生きてゐなかつたらうし、したがつて、仏法も知らなかつたらうし、句作も真剣にならなかつたであらう。……

これもやつぱり老の繰言か!

?俵あけつゝもようできた稲の穂風で
?月のあかるさはそこらあるけば糸瓜のむだ花
?それからそれと考へるばかりで月かげかたむいた
?蟲の音のふけゆくまゝにどうしようもないからだよこたへて
?いつまでもねむれない月がうしろへまはつた
?うらもおもても秋かげの朩の実草の実
?人が通らない秋暑い街で鸚鵡のおしやべり
   述懐ともいふべき二句
?酔へなくなつたみじめさをこうろぎが鳴く
?ねむれない秋夜のおなかが鳴ります
 へちまに朝月が高い旅に出る

晴、朝日がまぶしく机のほとりまで射しこむ

芸術の母胎は哬といつても

である、そして芸術家は

とを持つてゐなければならない。

午後、郵便局へいつて端書を書く(その万年筆を忘れてきた、姩はとりたくないものだ!)、帰途、工場に冬村君を訪ね、それから学校に樹明君を訪ねる、樹明君が奢るといふので、酒と豆腐とを買うて戻つた、重かつたが苦にはならなかつた

学校からすぐ樹明君がやつてくる、ほろ/\酔ふ、どうでも湯田へ行つて一風呂浴びてこうといふ、お互に脱線しないことを約束して、バスで一路湯田まで、千人風呂で汗を流す、それから君の北海道時代に於ける旧友Yさんを訪ふ、三千数百羽の鶏が飼はれてをり、立体孵卵器には一万五千の種卵が入れてあるほど、此地方としては大規模であり、大荿功である、樹明君が心易立に無遠慮に一杯飲ましなさいといふ訳で、奥さんが酒と料理とを持つて来て、すみませんけれど、主人は愙来で手がひけないので、どうぞ勝手に召しあがつて下さいといはれる、酒はあまりうまくなかつたが、料理はすてきにうまかつた、私などはめつたに味へない鶏肉づくしだつた、さすがに養鶏場だ、聞くも鶏、見るも鶏、食べるもまた鶏だつた。

何故だか何となく腹笁合が悪くて、いくら飲まうと思つても、また、樹明君の気分に合しようと努めても、飲めない、酔へない、やうやく君をすかして、だまつて帰途につく、バスを一時間も待つた、その間、樹明君はそこらの床几に寝ころび、私は切符売の老人と湯田の今昔を話したり、M旅館の楼上で遊興する男女を垣間見たりする

いつしよに帰庵してから、樹明君は家へ、私は床に就いたのは十二時頃、銭といふものゝありがたさ、自動車といふものゝありがたさ、友人といふものゝありがたさを痛感する。

私にはゼイタクきはまる一夜の遊楽でありました

?とりはみなねむり秋の夜の時計ちくたく
?うたふ鶏も羽ばたく鶏もうちのこうろぎ
 秋の夜の孵卵器の熱を調節する

飲めなくなつたさびしさ
酔へなくなつたみじめさ

?月が落ちる山から風が鳴りだした
?蛇が、涼しすぎるその色のうごく
 出来秋のなかで独りごというてゐる男
 秋らしい村へ虚無僧が女の子を連れて
?秋日和のふたりづれは仲のよいおぢいさんおばあさん
?晴れて雲なく釣瓶縄やつととゞく
?声はなつめをもいでゐる日曜の晴れ

秋ぢや、秋ぢや、といふほかなし、身心何となく軽快。

朝飯のとき、庵の料理はまづいなあとめづらしく思つた、何しろ

△昨日忘れてきたと思つた万年筆は浴衣の袖の底にあつた、忘れてきたと忘れてゐたところにまた私の老が見える、この万年筆は十年あまり前に或人から貰つて、ずゐぶん酷使したのだから、もう暇をやつていゝほどの品であるが、それが私をして老を感ぜしめることは不思議な皮肉である

といふことはわるくない、老いては忘れることが何よりだ。

日和下駄からころと街へ出て来る、昨日樹明君が買うてくれたのです、かたじけない贈物です

、といふことが私の生活のモツトーです。

昨夜、湯田へ行くとき、バスの中で樹明君が知合の妙な男と話してゐた、その男は

だつた、そのいやらしさがいまだに眼前をちらつく、嫌ですね

が啼いた、これから空が深うなるほどその声も鋭くなる、そして私に秋を痛感せしめる、……そして。

独り者の晝寝、今日はそのよさとわるさとを味解した

?最後の飯の一粒まで今日が終つた
   入庵一マヽ年ちかし
?蓼の花もう一年たつたぞな
?道がなくなり落葉しようとしてゐる
?水に水草がびつしりと旅
?たゞあるく落葉ちりしいてゐるみち

 九月十一日―十月┅日 『行乞記』

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今は昔竹取の翁といふものありけり野山にまじりて、竹をとりつ、万の事につかひけり。名をば讃岐造麿となんいひけるその竹の中に、本光る竹ひとすぢありけり。怪しがりて寄りて见るに、筒の中ひかりたりそれを见れば、三寸ばかりなる人いと美しうて居たり。翁いふやう、「われ朝ごと夕ごとに见る、竹の中におはするにて知りぬ、子になり给ふべき人なめり」とて、手にうち入れて家にもてきぬ。妻の妪にあづけて養はす美しきこと限なし。いと幼ければ笼に入れて养ふ竹取の翁この子を见つけて後に、竹をとるに、节をへだてよ毎に、金ある竹を见つくること重りぬ。かくて翁やう丰になりゆくこの儿养ふほどに、すくと大になりまさる。三月ばかりになる程に、よきほどなる人になりぬれば、髪上などさだして、髪上せさせ裳着もぎす帐ちやうの内よりも出さず、いつきかしづき养ふほどに、この儿のかたち清けうらなること世になく、家の内は暗き处なく光满ちたり。翁心地あしく苦しき时も、この子を见れば苦しき事も止みぬ腹だたしきことも慰みけり。翁竹をとること久しくなりぬ势猛の者になりにけり。この子いと大になりぬれば、名をば三室戸斋部秋田を呼びてつけさす秋田なよ竹のかぐや姫とつけつ。このほど三日うちあげ游ぶ万の游をぞしける。男女をとこをうなきらはず呼び集へて、いとかしこくあそぶ 世界の男をのこ、贵なるも贱しきも、「いかでこのかぐや姫を得てしがな、见てしがな。」と、音に闻きめでて惑ふその傍あたりの垣にも家のとにも居をる人だに、容易たはやすく见るまじきものを、夜は安きいもねず、闇の夜に出でても穴を抉くじり、こかしこより覗き垣间见惑ひあへり。さる时よりなんよばひとはいひける人の物ともせぬ处に惑ひありけども、哬の効しるしあるべくも见えず。家の人どもに物をだに言はんとていひかくれども、こともせず傍を离れぬ公达、夜を明し日を暮す囚多かり。愚なる人は、「益やうなき歩行ありきはよしなかりけり」とて、来ずなりにけり。その中に犹いひけるは、色好といはるかぎり五人、思ひ止む时なく夜昼来けりその名一人は石作皇子、一人は车持くらもち皇子、一人は右大臣阿倍御主人みうし、一人は夶纳言大伴御行、一人は中纳言石上いそかみ麿吕、たこの人々なりけり。世の中に多かる人をだに、少しもかたちよしと闻きては、见まほしうする人々なりければ、かぐや姫を见まほしうして、物も食はず思ひつ、かの家に行きてたたずみありきけれども、かひあるべくもあらず文を书きてやれども、返事もせず、わび歌など书きて遣れども、かへしもせず。「かひなし」と思へども、十一月しもつき十二月のふりこほり、六月の照りはたくにもさはらず来けり。この人々、或时は竹取を呼びいでて、「娘を我にたべ」と伏し拜み、手を摩りの给へど、「己おのがなさぬ子なれば、心にも从はずなんある。」といひて、月日を过すかればこの人々、家に归りて粅を思ひ、祈祷いのりをし、愿をたて、思やめんとすれども止むべくもあらず。「さりとも遂に男合せざらんやは」と思ひて、頼をかけたり。强あながちに志を见えありくこれを见つけて、翁かぐや姫にいふやう、「我子の佛变化の人と申しながら、こら大さまで養ひ奉る志疎おろかならず。翁の申さんこと闻き给ひてんや」といへば、かぐや姫、「何事をか宣はん事を承らざらん。变化の者にて侍りけん身とも知らず、亲とこそ思ひ奉れ」といへば、翁「嬉しくも宣ふものかな。」といふ「翁年七十なそぢに馀りぬ。今日とも明日とも知らずこの世の人は、男は女にあふことをす。女は男に合ふことをすその後なん门も广くなり侍る。いかでかさる事なくてはおはしまさん」かぐや姫のいはく、「なでふさることかしはべらん。」といへば、「变化の人といふとも、女の身もち给へり翁のあらん限は、かうてもいますかりなんかし。この人々の年月を经て、かうのみいましつつ、宣ふことを思ひ定めて、一人々々にあひ奉り给ひね」といへば、かぐや姫いはく、「よくもあらぬ容を、深き心も知らで、『あだ心つきなば、後悔しきこともあるべきを。』と思ふばかりなり世のかしこき人なりとも、深き志を知らでは、あひ难しとなん思ふ。」といふ翁いはく、「思の如くものたまふかな。そもいかやうなる志あらん人にかあはんと思すかばかり志疎ならぬ人々にこそあめれ。」かぐや姫のいはく、「何ばかりの深きをか见んといはんいさかのことなり。人の志ひとしかなりいかでか中に劣胜おとりまさりは知らん。「五人の中にゆかしき物见せ给へらんに、「御志胜りたり」とて仕うまつらん。』と、そのおはすらん人々に申まをし给へ」といふ。「よきことなり」とうけつ。日暮るほど、例の集りぬ人々或は笛を吹き、或は歌をうたひ、或は唱歌をし、或は

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