な私に「おめでとう!」と言ってくれまし...

猟師になりました。あと、炎上のこともちょこっと。
http://chiharuh.jp/?p=3154猟師になりました。あと、炎上のこともちょこっと。ちはるの森
みなさんお久しぶりです!
ちはるです。
前回の投稿からかなーり時間がたってしまいました。
解体したり皮なめしたりと忙しくしているうちに、
いつもまにかこのブログがものっすごい炎上しました。
特に、コメント欄がとんでもないことになっています。
テーマがテーマだけにしょうがないかなと思いつつ、
この炎上を通して1点だけ、主張したいことがあります。
それは「命のことは答えがあるものじゃないので、いろんな考え方があって当然」ということです。何が正しいとか悪いとかは、ないと思っています。
たとえば、人が生きる上で、1つの命も奪わずに生きるのは不可能です。
野菜だけを食べていたとしても、その農作物を守るためにたくさんの動物たちが駆除されています。私たちが住んでいる場所だって、何かしらの動物の住処を奪って作ったことになります。
大げさに言えば、今こうして呼吸することだって
何か微生物を体の中に取り込んでいることになります。
そしたら、息をすることだって出来なくなっちゃいます。それは困る。
だからみんな、「ここまでならいっかな」という命の線引きを
どこかで引いてるんだと思うんですよね。
でも、命をどう区切るか。
うさぎを食べものと思えるか、野菜を人間と同じように命と思えるかは
その人の育ってきた環境や考え方によるものなので、人それぞれだと思います。
だから、命の線引きも人それぞれ。
その線引きが人と違うからといって、対立したり責めたりしても何も生まれないんじゃないかなと思います。今回のことでも、賛同、批判、色んな意見がありましたが、炎上というよりは色んな立場の人の色んな意見があるよねって分かったことが一番でした。
命の捉え方はひとつじゃない。
自分と違う考えの人がいたら、じゃあ自分はどう思うかなって考えるきっかけになったらいいなと思います。
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あと、私が笑顔でうさぎを持っているということで
「この子は狂ってる」「命を軽んじてる」と言われることがあります。
でも。魚を釣って笑顔で写真を撮る人がこんなに批判されることってあまり聞いたことがないです。本質的には同じなのに。
それもやっぱり、みんなが持っている「命の区切り」が違うからじゃないかなと思っています。
でも、自然と繋がる機会もなく、うさぎが「ペット」として認識されている今の時代、私が笑顔でうさぎを狩っている姿に狂気を感じるのは無理もないと思います。
なのでここで、改めてみなさんにお伝えしたいと思います。
私が狩りや解体などのいろんな場所で笑顔なのは、山菜を採る、魚を釣るのと同じように「自分で獲った美味しいものが食べられるという喜び」であり、「動物を殺すことそのものや、動物を苦しめること」に快楽を感じているわけではありません。
まだ経験が浅いので、自分の力で動物をしとめた達成感よりは、怖さの方が大きいですが…。
それでも、この笑顔を「殺すこと自体に快楽を感じる異常者」と誤解されることは悲しいことです。私が笑顔でいることに対して、こう感じている人が多かったのには驚きました。
ブログや写真では伝わりづらいかもしれませんが、現場の私は意外といっぱいいっぱいですよ?。楽しむというよりは、まだまだ目の前のことをこなして吸収していくことで精一杯です。笑
そもそも、動物を殺す事とご飯を食べる事は繋がっています。
殺して、さばいて、料理して食卓に出てくる。
どこかで区切れるものではありません。
笑うことが命を軽んじている事になるのであれば、その繋がりのどの場面でも神妙に、悲しい顔をしなくてはいけません。毎日懺悔しながらご飯を食べるなんて、食べることが大好きな私にしてみたら辛く悲しいことです。
(でも、猟をしていると懺悔したくなるときもあります。)
だから、何かの命を奪うことを罪として生きていくよりは、自分が何かの命なしには生きていけないこと認めて、感謝して、自分の手で絞めたものを食べる。
そいういう身の丈にあった暮らしをする事が、命に対して誠実な生き方なんじゃないかと思っています。
少なくとも、私はそう思っていて、そういう暮らしを実践しています。
(私は普段自分が絞めた以外のお肉は食べません)
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こうして動物を殺すことを、表に出すべきことじゃないという人もいます。
そういう考えもあると思います。
わざわざ動物を殺すところを見たいなんて人も、そんなにいないと思いますし。
それでも。
それにしても、隠されすぎてると思うんです。あんまりにも。
食べものが食卓にやってくる過程が見えなすぎるから、その先が想像できなくて、食事に感謝できなかったり、食糧を無駄にしたりすることが普通になっていて。
だからこそ、包み隠さず伝えたいという気持ちが強いのかもしれません。
オブラートに包むような表現をするのも、あんまりしたくありません。
だってこれが事実だから。
生きることは、もっと生々しいことだと思っています。
ツイッターでも佐々木俊尚さんが取り上げてくださって、大きな議論になりました。
沢山の人が命について考える素晴らしいまとめになってるので、良かったら読んでみてください。
俊尚さん、まとめてくださった方、ありがとうございます!
▼佐々木俊尚さんのツイートまとめ/人気ブログ「ちはるの森」から/みずから手がけた屠殺の様子をブログに描写することの是非をめぐって。
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そうそう、それでね。
前置きが超長くなりましたが、そんなこんなで猟師になりました。
だいぶ前になりますが、今年の1月に狩猟免許を取得しまして、狩りを始めました。
「どっかからもらってきた動物をさばいて食べるなんて、食べものの最初から最後までじゃない」
コメント欄でも指摘されたことがあります。
これに関しては、私もその通りだなあとずっと思っていました。
山で動物と一対一で向き合って、
勝ち取った肉をさばいて食べて、それで最初から最後まででしょ、と。
まだまだ新人で先輩に迷惑をかけてばかりですが、
今期は頑張って山に入ろうと思います!
おかげさまで、罠も自作できるようになりました。
それともう1つ。
前回の記事で、今年は「狩って食べる」と「飼って食べる」を実践したいと言っていましたが、それを実行に移すべく、烏骨鶏を飼い始めました。
もう、めっちゃ可愛い。
あとから走って追いかけてくる姿なんて、可愛くって可愛くって可愛いのです。
写真も沢山とりすぎて写真集出せそうです。
「最後は絞めて食べる」という気持ちで育てているので
ペットのように育てている訳ではないですが、愛情込めて育てれば育てるほど
絞めるときのことを考えてめそめそしたりします。
それでも、毎日毎日この烏骨鶏を通じて学ぶことが沢山あります。
特に烏骨鶏を飼うようになってから、改めて、前回のうさぎの記事は
うさぎを飼ってる人には辛かっただろうな、と感じるようになりました。
私もこの子がバラバラにされるところなんて想像するだけで辛いです。
(最後は自分の手で絞める予定ですが)
辛い気持ちにさせてしまった方、ごめんなさい。
それでも、基本的に発信のスタンスはこのままでいく予定ですので、
デリケートな方はやっぱり見ないことをオススメします。
タイトルで危なそうだな、と思ったらブラウザ閉じてくださいね。
というわけで、この冬はまたまた解体づくしになると思います!
また一回り成長していく私を、どうかあったかく見守ってください?。
どうぞよろしくお願い致します。ぺこり。
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▼本が出ました!
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私が新米猟師になるまでのエッセイ(ブログに書ききれなかったいろんなこと)や、動物別の解体方法、ジビエのレシピ集など、イラストを交えて紹介しています。
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About chiharuh
お問い合わせ/コラム/出張解体ワークショップ などについては
chiharunomori● (●を@に)
までお願いいたします☆
暮らしかた冒険家
Lifestyle lodestar
カナダ留学後、ウェブマガジンgreenz.jpのインターンを経てNGO/NPO支援?映画の配給事業を行う会社に就職。
半農半Xのワークスタイルを目指すべく、会社ごと千葉の外房に移住しオフィス隣の小さな畑で野菜を育てる。
仕事で訪れたオーストラリア?インドなどのエコビレッジでは、WWOOFを通じてサステナブルな暮らしを体験。
人と人が繋がるヒューマンスケールな生き方に目覚める。
2011年の東日本大震災をきっかけに、大量生産大量消費の暮らしに危機感を感じ「自分の暮らしを自分で作る」べく、鶏などを解体する屠殺の勉強を開始。屠殺ワークショップを開催し大人から子どもまで一緒になって命と向き合う場を提供している。
福岡に移住した今では、食べ物、お金、エネルギーを自分たちでつくるシェアハウス「いとしまシェアハウス」を運営中。
狩猟免許を取得し、新米猟師に。現在は毛皮の皮なめしを勉強中。
解体を始めてから基本的にゆるいベジタリアンで、普段は自分で獲った獲物以外のお肉はあんまり食べません。
何で私が田舎暮らししてるのか、お仕事のことやこれからのこと。
インタビュー受けたのでよかったらどうぞ。[text]返回顶部&/&一个日本女人的上海、南京旅行记(前篇)围观&·&&0评论&·&&0香蕉&/&&&/&&已收藏&/&&/&一个日本女人的上海、南京旅行记(前篇)
10月中旬,来到上海和南京旅行。 虽然之前就开始计划此次旅行,但是9月中旬正值反日示威爆发,不得已取消了旅程。。。让我倍感消沉。博文地址:http://www./4/000237_J.html原创翻译:龙腾网
翻译:墨剑殢無傷 转载请注明出处本贴论坛地址:&&上海?南京旅行記(前篇)~~“反日”の真っただ中で考える日中関係 上海,南京旅行记(前篇)~~在反日最盛时,思考日中关系10月半ば、上海と南京へ旅行に行って来た。大分前から計画していた旅だったけれど、9月半ばにあの歴史的な反日デモが起こり、一時はキャンセルせざるを得ないのかしら‥と意気消沈。特に南京は、中国や香港の友人たちからも「ちょっと今回は危険なのでは?」「お節介かもしれないけど一言言わせて。中国人の友だちと一緒ならいいけど、一人で行くのは止めた方がいいと思う」とわざわざ連絡をもらうほどだった。しかし、10月に入って情勢も落ち着き、待ってましたと出かけることに。その旅で見聞きしたあれこれについて、今日の日記では書いてみようと思う。そもそも今回の旅には二つの目的があった。一つは、1930~40年代の建築物や、その時代に関する博物館を見て回ること。もう一つは、人に会い、街を歩き、2012年秋のこの中国を感じて来ること。恐らくこの日記を読んで下さっている方の多くは後者、「今の中国」の方に関心があるとは思うのだけれど、まずは第一の目的から書いてみようと思う。10月中旬,来到上海和南京旅行。虽然之前就开始计划此次旅行,但是9月中旬正值反日示威爆发,不得已取消了旅程。。。让我倍感消沉。特别是去南京旅行的计划,中国和香港的朋友纷纷联络我,对我说道:“这次稍微有点危险不是吗?”;“别怪我多事,如果有中国的朋友陪同倒还好,一个人的话还是不要去了”。但是,进入10月以来,情况好转,终于可以出发了。于是把关于这次旅行的见闻,通过这篇日记记录下来。这次的旅行有两个目的:第一个,参观1930~40年代的建筑物,和与那个时代有关的博物馆。第二个,走在街上,看看中国人,感受一下2012年秋天的中国。恐怕浏览此篇日记的各位,多数只是对第二个目的有兴趣,也就是说对“现在的中国”感觉兴趣,但我还是怀着第一个目的来写这篇日记。旅の目的その一 オールド上海、オールド南京を訪ねる今回、8日間の旅の間中、本当によく歩き回った。前回の日記にも少し書いたけれど、将来、1940年代に上海に住んでいた曾祖父を舞台背景に使った(主役ではないのです)文章作品を書きたいと思っていて、そのための基礎調査が今回の大きな目的だった。そもそも曾祖父が住んでいた建物が、今は上海大厦(英語名:ブロードウェイマンション)という名の5つ星ホテルになっているので、旅の前半2日間はそこに宿泊した。ひょっとしたら、深夜に曾祖父の霊が現れて過去の秘話を聞かせてくれたりして‥などという期待を少ししていたのだけれど、もちろんそんなオカルトじみたことは起こらず、いたって快適に、いわゆるシティホテルライフを満喫した。(5つ星だけれどそれほどお値段も高くなく、最近のホテルほど巨大ではないのでサービスもフレンドリーなかんじ。お薦めのホテルです。下がホテルの写真)旅行的目的之一,造访老上海和老南京。这次8天的旅行时间,一定要好好地去看看。上一篇日记里提到过,将来我想写一篇以1940年代,在上海居住的曾祖父的时代(并非他是主角)为舞台背景的文学作品,因此,这次的实地调查就是最大的目的。曾祖父原先居住的建筑物,已经变成了如今的5星级酒店上海大厦(英文名:Broadway ),旅行的前2天就在这个酒店住宿。搞不好夜半三更时,曾祖父的灵会出现,对我讲述过去的秘密。。。虽然对此幻想有少许期待,但是心里当然知道这是不可能发生的,反而更想舒适地享受City Hotel Life。(虽然是5星级,但是价格并不高,最近的酒店不仅规模大,而且服务很好。我力推这家酒店。以下是酒店的照片)。&この建物は、そもそもは1934年に西洋人向けの高級マンションとして建てられ、やがて日本政府がまるごと購入。政府高官用の高級官舎として使用するようになった。戦後政界のフィクサーとなった児玉誉士夫を長とする阿片?戦略物資などの闇調達機関?児玉機関があったことでも有名だ。私の曾祖父は、そんな、何やら冒険話がいっぱい転がっていそうな謀略取引に関わっていた訳ではなく、合法の方の顔、中国を植民地として経営するための経済?金融関係の任務を帯びていた。今回、曾祖父がこのブロードウェイマンションから毎日通っていたであろう或る政府系の銀行、そして「興亜院」という、植民地経営のための省庁が入っていた建物(曾祖父はこの省でも官職を持っていた)、また、曾祖父が交渉相手としていた中国の要人たちの家々、日本陸軍?海軍の駐留施設、列強の租界経営の中核機関‥そういった、未来の作品に登場させたい建物を一つ一つ回り、建物の大きさや構造を把握し、また、或る機関と或る機関がどのくらいの距離を隔てて存在していたのか‥といったような、資料上で知っていた文字情報を体で理解するために街を歩き回っていた。(下の写真は、そんな建物の一つ。石積みの壁に歴史が感じ取れる)&这个建筑,最初是为西洋人而修建的高级公寓,最终整个被日本政府收购。作为政府高官使用的高级宿舍。该建筑成为儿玉誉士夫设立的鸦片,战略物资筹措机关(儿玉机关)的所在地,也是赫赫有名的。& && & 说起我的曾祖父,并非是那种历经各种冒险和阴谋诡计的传奇般的人物。他只是合法地肩负着在当时中国殖民地上经营两国经济和金融任务。我的曾祖父,每天从这个Broadway公寓出发,再到各种政府银行、以及名为“兴亚院”的殖民地的省厅去办公(曾祖父在省厅里有官职)。另外,曾祖父还经常出入许多中国要人的家里、日本陆军,海军的驻守设施、以及列强的租借地的办公机关。。。说起来,为了更好地把握未来要创作的作品里登场的每一个建筑物,以及某机关与另一个机关的相隔距离等等。。。这些资料信息,都需要我好好地实地游览一番。(以下的照片,是其中一个建筑物。能够感受到石壁里流溢出的历史感)。&幸いなことに、上海でも南京でも多くの建物はまだ昔の姿を保ったまま保存されていて、歴史好きの私にはたまらなく楽しい毎日だった。街をとことこ一人で歩いている時、私の中では、過去と現在が交互に現れてまた消えていたのだ。幸运的是,上海和南京的许多建筑都完好地保存着昔日的风采,这让喜爱历史的我感到情不自禁地乐在其中。一个人在这些古风街道中行走的时候,我的心里感觉到过去和现在不停地交融闪现。また、或る半日は、上海の福州路という道を行ったり来たりして過ごした。この道には大小の書店が集まっているので、各書店の「歴史書」のコーナーで、1930~40年代の日中関係史に関する本を買い集めていた。もちろん、今では多くの本を日本でもネット購入出来るけれど、やはり現地で「歴史書」コーナーの前に立ち、「こんな本もあるんだ」と偶然手に取ってページをめくってみる。そしてまた隣りの本、また隣りの本へと、蜘蛛の巣が一目ずつ延びて行くように書籍がつながって行く楽しみは書店にはかなわない。おかげで帰りの荷物は本でずっしりと重くなってしまい、トランクに入れて超過料金を取られるのが嫌さに手荷物のスポーツバックに入れて持ち歩いていたら、肩が千切れるかと思うほどだった。また、「上海当檔案館」という、日本語で言えば「上海公文書館」に当たる資料館では、曾祖父に関する資料を発見することが出来た。ここにはまだまだ読みたい資料が大量に保管されているので、またの機会に、ただここに通うためだけに上海滞在をしたいと思う。花了半天时间,在上海的福州路来回闲逛。大小书店汇集在这条街道,各个书店的“历史书”的角落里,都有1930~40年代的日中关系的书籍。虽然如今的时代,许多书都能网购,但是在实体书店里,偶然拿起一本书翻着,心里果然还是会感慨道:“连这本书都有啊”。而且视线被玲琅满目的各种书籍所包围,这种乐趣不是在书店就无法感受啊。正因如此,入手了许多书,回去的行李又重了很多,可能因为超重还会被交罚金吧。另外,在“上海市档案馆”,用日语说就是“上海公文书馆”里,发现了有关曾祖父的资料。这里保存着很多我想阅读的资料,下一次还有机会的话,我想专程来上海好好地阅读这些资料。旅の目的その二 現地の“反日空気感”についてさて、いよいよ現在の中国について。今、戦後最大に日中関係が冷え込んでいるこの時期に中国へ行った、と言うと、日本人の知人にまず質問されるのが、「何か怖い目に遭わなかった?」という問いだ。本当は、「街を歩いていたら中国人に因縁をつけられて、丁々発止と中国語で戦ってね」‥といった武勇伝でも披露したいところなのだけれど、残念ながら?拍子抜けするくらいに何も起こらなかった。例えば、デモたけなわの頃は、日本大使館から「危険だから日本人はタクシーに乗るな」指令が出されていたという、そのタクシーでは、私の発音で行き先を告げると外国人だと分かってしまうため、「何人だ?」と訊かれることもあった。この質問に対して、今現在、中国にいる日本人は皆一瞬のためらいを感じるはずだ。自分の国籍を堂々と名乗れないというのは本当に悲しいことだけれど、でも、「日本人です」と言ったらもしかしたら乗車拒否に遭うかも知れない。或いは何かケンカを吹っかけられるかも知れない。そのようなタクシー運転手はごくごく一部には違いないけれど、もしかしたら自分がそのごく一部に出くわしてしまった可能性もある。だから一瞬のためらいが生まれることになる訳だ。では、「韓国人です」、或いは、「アメリカ移民なの」などと答えるのか?それはあまりにも屈辱的じゃないか――タクシーに乗る、というごく日常的な行為をしようとするだけで、残念ながら現在の日本人は、中国でそんなためらいの渦に追い込まれてしまうという訳だ。もちろん、出発前に、この「何人だ?」問題については当然考えていた。そしてやはり私は日本人であることに誇りを持っているので、「韓国人だ」などとは言いたくない、と思っていた。たとえ「ここで降りてくれ」と言われることになっても、「日本人です」と言いたい。議論を吹っかけて来られたら、よっぽど凶暴そうな運転手さんじゃない限り、受けて立とうじゃないかと思っていた。実は、領土問題を語る時に使う単語も事前に覚えて出かけていた。けれど拍子抜けするくらいに何も起こらなかった。旅行的目的之二,感受当地的“反日氛围”。& && & 那么,终于开始记录现在的中国了。& && & 当下,正是战后日中关系最冷的时期,在这个时期去中国旅行,想必日本的亲友们肯定会问:“没遇到什么可怕的事情吗?”。虽然真的很想对你们说:“走在街上,被中国人故意找碴,然后进行了一番激烈舌战。”。。。但是,这种武勇传说般的故事并没上演,遗憾啊,现实中什么事情都没有发生。& && & 在反日示威的期间,日本大使馆发出过指令:“因为很危险,所以日本人不要乘坐当地出租车”。但我在乘坐出租车时,司机根据我的发音知道了我是外国人以后,倒是被问了句:“是什么人?”。& && & 对于这个询问,如今在中国的各位日本人,应该会有所犹豫吧。不能堂堂正正的报出自己的国籍,是一件多么令人伤感的事,但是万一说出自己是日本人,有可能会被拒载。又或者会被挑衅甚至殴打。虽然这种极端的出租车司机只是极少数,但是万一运气不好,就被自己遇上了呢。所以,面对这个询问,才会有一丝犹豫。& && & 那么,回答“是韩国人”或者“是美国移民”呢?那样回答的话,心里也感觉太屈辱了!乘坐出租车,是再正常不过的事情了,但遗憾的是,如今在中国的日本人,已被卷进这个漩涡了。& && & 当然,出发之前,我考虑过该怎样回答这种“是什么人?”的询问。果然,身为日本人的自豪感让我死也不想说自己“是韩国人”。就算被人赶下车,我也想说“我是日本人”。即使吵起架来,只要驾驶员不是那种穷凶极恶的人,我都挺起胸膛面对他。实际上,关于争论领土问题的单词,事先我都背诵过了。但是,什么事情也没有发生。& && && && && && && && && && && && && && && && && && && && && && && && && && & *例えば、ある晴れた日に上海で乗ったタクシーのおばちゃん運転手さんは、「今の季節の上海は一番いいでしょう~。暑くもないし寒くもないし。運転手は暑いと大変なのよ~」といいかんじだし、30代くらいの若めの運転手さん(男性)のタクシーに乗った時には、高速を走っている時に何と1台前の若い女性ドライバーがゲームをしながら運転をしていたようで、急停止(高速で!)。危うく事故になりかけた。その後二人で「ひどい!」「自分勝手過ぎるよ!」「ゲームしながらだからよく道を見てなくて、出口が分からなくなったんじゃない?」「そうだ。それに違いない!」などとバカ女子を罵り合いながら走って興奮冷めやらなかった。一度だけ、おじさんの運転手さんに、「日本と中国の関係は今悪いよね。領土問題、君はどう思う?」と訊かれたことがあった。こちらとしては、いよいよ来たかー!と臨戦態勢に入り、「えーと、日本には日本の考え方があってですね、」と途中まで説明していると、「そういうのはさ、政府同士のことだよね。一般の庶民には関係ないよ。「作秀」って言葉、君は知ってるか?」と訊かれた。「作秀」というのは「目立つように華々しいパフォーマンスをしてみせる」くらいの意味で、彼の主張は、政治家たちが「自分は外国に弱みを見せない強い政治家だ」と主張するために、強硬姿勢を示す。或いは、人気取りのために愛国を主張する。今回の領土紛争はそんなショーみたいなものなんだよ、というものだった。「庶民同士の交流には全く関係ないよね。我々一般の人間は、こういう一回一回の場で普通に楽しく過ごせばいいんだ」そう彼は言っていた。& && &在上海乘坐出租车的经历中,遇到过一个大妈级别的驾驶员,亲切地对我说道:“上海现在的季节是最好不过了。不热也不冷。对于驾驶员来说,天热可真够呛的”。& && & 另外一次乘坐出租车时,遇到一个30岁的年轻男司机,在高速行驶中,好像前面车的女驾驶员开玩笑似地玩了一个急刹车。结果发生了事故。之后,男司机和那傻女人互相骂起来了:“真过分!”,“太乱来了嘛!”,“在车上乱搞,不看路,所以没看见出口是不是?”,“是啊,肯定是这样!”。& && & 只有一次,一个大叔驾驶员向我问道:“日本和中国现在关系相当不好啊。关于领土问题,你怎么看?”。我心想:这个提问终于来了!于是做好临战态势,向他说明:“嗯。。。日本有日本的考虑。”& && & 他又问道:“这种事情,应该是政府去关心的。和一般老百姓毫无关系。「作秀」这个词,你知道吗?”。「作秀」就是为了引人注目而进行表演的意思。这位大叔的观点是:政治家们都不想被外国看到自己的弱点。所以才采取强硬姿态。又或者是为了博得人气。这次的领土纷争就像一场“秀”一样。& && & 于是,我对他说道:“和我们两国百姓之间的交流完全无关啊。我们普通人只要熬过这个艰难的时期就好了。”また、或る時は、と或る観光名所に見学に出掛けたら(普通の観光も少しはしているのです)、そこの係員のおじさんに話しかけられた。とても親切に、特別に施設内を細かく案内してくれて、その中で日中関係の悪化に話が及んだ時、「戦争なんかになったらさ、被害を受けるのは結局一般市民だよ。誰が徴兵されると思う?僕の息子や、君の友人、家族だよねそんなことになったらどうする?空襲で死ぬのもみんな市民なんだよ」「上層部の人は安全な核シェルターにでも避難して、絶対死なないもんね」「そうだよ。戦争なんて本当にばからしい。絶対にごめんだよ」と力説していた。この他にも、日本語を話せる中国人友人とおしゃれカフェでお茶をしていたら、店員さんが日本語で「ありがとうございます」と話しかけて来てくれたり、上で書いた上海檔案館でも、申請の仕組みやマイクロフィルム機の使い方に不慣れな私に、全ての職員の方たちがこれ以上出来ないほど親切に説明をして下さった。以前、日本の国会図書館でやはりマイクロフィルム機の使い方が分からず質問したら、面倒くさそうに対応されたのとは対照的なほどだった。もちろん、国家の資料を見せてもらうので檔案館にはパスポートを提出しなければ入室出来ず、私が日本人だということは職員の方々に知られた上でのことだ。& && & 另外一回,在某个观光名胜里,和那里的工作人员交谈起来。那个大叔,人特别亲切,仔细地给我介绍了该建筑。但说到日中关系恶化的话题时,那位大叔极力说道:& && &“发生战争的话,受害的只会是一般平民。你认为到时候谁会被征兵入伍?我的儿子,或是你的朋友,家人到时候被征兵打仗该怎么办呢?空袭中死去的都会是平民啊。”& && &“高层官员都会去避难所,他们是绝对死不了的。”& && &“是啊。战争本身就是愚蠢的。绝对不想发生。”等等。。。& && & 另外,会说日语的中国友人,无论是咖啡店的店员,还是档案馆的工作人员,对我都非常地亲切。以前在日本的国会图书馆里询问时,工作人员嫌麻烦的态度和这里完全形成鲜明的对照。当然,要进入档案馆查看国家资料,必须出示相关的证件。关于我是日本人这一点,这里的工作人员都知道。& & & & && & & & & & & & & & & & & & & & & & & & & & & & & & & & & & & & & & & & & & & & &*また、直接会話をしない間でも、街ですれ違う人たちの対応もいたって冷静だった。日本語を話せる中国人の友人や日本人の友人と、地下鉄や道で日本語で話していても特に何も起こらなかったし、南京で、中国全土から観光客が集まって来る中山稜という観光名所に行った時も、日本語で話していても全く大丈夫だった。実は南京では、日本語は一言も話さないつもりだった。けれど、待ち合わせしていた現地ガイドさん(日本語ぺらぺらの方)と南京中央駅で落ち合った瞬間、「ああ、日本語で大丈夫ですよ。南京は落ち着いてますから、平気平気」とにっこり笑顔で言われ、ここでもまた拍子抜けすることになった。ちょっと補足すると、実は今回、私は南京に友人が一人もいないので、安全のために日本から現地ガイドさんを手配していた。やはり、女の一人旅、何か事件に遭遇した時に現地に知人がいないと、本当に悲惨なことになりかねない。「用心棒としてガイドさんを雇う」という案を、かつての留学仲間で現在中国語ガイドをしている友人が提案してくれ(感謝!)、ベテランのガイドさんを手配してくれた。それであきらめかけていた南京行きが実現出来ることになった訳だけれど、そのガイドさんには、出発前にメールで「会話は基本的には中国語でしましょう」と連絡していた。しかし上記したように駅で会った瞬間に拍子抜けすることになり、そして本当に、怖いことは何も起こらなかったのだ。另外,虽然没有直接交谈,但感觉在街上擦肩而过的中国人都非常的冷静。和中国友人以及日本友人在地铁等地方用日语交谈,也没有任何事情发生。在南京中山陵这类中国游客聚集的名胜,用日语交谈,也完全没关系。实际上,我是打算在南京不说一句日语的。但是,在南京中央车站等候时,当地导游(日语非常流利的人)微笑着对我说道:“啊,说日语没关系啦。南京已经平静下来了,没事没事。”稍微补充一下,实际上,我没有一个朋友在南京,为了安全起见,我在日本时,就已经预定了南京当地的导游服务。一个女人独自旅行,在没有认识的人的情况下,在当地遭遇什么事情的话,真的是非常的悲惨呀!“雇个导游当保镖”,这个是以前留学时的同学,现在是中国语导游的朋友所提议的,于是帮我安排了一个专业的导游。因此本想放弃的南京行就顺利地进行了,在出发前,导游发短信说:“基本的对话我们还是用中文吧”。但是如上所述,在车站与导游见面的瞬间,不自觉说起了日语,但并没发生任何恐怖的事情。&そもそも、上海から南京へと向かう中国の新幹線=高速鉄道(上の写真)で、隣りに座っていた女の子の着うたからして、宇多田ヒカルだった。着メロではなく着うたなので、思い切り日本語が車内に流れている。それでも誰も、「日本鬼子の歌を流すな!」などと怒ったりしなかった。(ちなみに中国では電車内の携帯使用OK)在上海到南京的中国新干线=高铁(上面的图片)里,旁边座位的女孩的手机铃声响了,居然是宇多田光的歌。不是短信铃声,是手机铃声。于是日语充满了整个车厢。但是,没有任何人指责说“不许放日本鬼子的歌曲!”。(顺便说一下,在中国,车厢内是可以使用手机的)&また、上海に帰る日、南京駅に少し早く着いてしまったのでぶらぶら構内を歩き回り、旅のお供の本を売る“駅ナカ本屋さん“を覗くと、雑誌スタンドのど真ん中に「宮崎駿本」がにぎにぎしく並べられていた(上の写真)。そう、現地の空気は日本で報道されるほど過敏ではないのだ。在回上海的那天,因为自己早到了,所以在南京车站闲逛时,在“站内书店”里,发现杂志中居然还有“宫崎骏的书”在里面陈列着(上面的照片)。看来当地的气氛,并没有日本新闻报道的那么敏感。反感と友好 混ざり合う現地の空気 でも、だからと言って、全く敵対的ではないかと言えばもちろんそんなことはない。例えば、南京で街を歩いていたら、派手に商売やってます風の大きな不動産屋さんの電光掲示板に、物件情報に混じって「釣魚島(=魚釣島の中国名)は中国の領土」というメッセージが5分おきくらいに流されていた。テレビを点ければ「時事解説」「今日の話題」的な、識者を招いてニュースを深く掘り下げる番組では、しょっちゅう尖閣問題が取り上げられていた。中国はテレビ局の局数が多く、そのそれぞれがこのような番組を持っているから、最低1日に1回は尖閣を論じる番組を見かけることになる。また、普通のニュースの中でも、日本政府の動き――例えば、玄葉外務大臣がどこの国へ行ってどんな発言をしたのか、国会議員の靖国参拝について、など――と、そして、アメリカ軍の動きに関するニュースは細かく採り上げられていた。一番スポットライトが当たっているのは今のところ日本だけれど、その背後にいる存在として、アメリカの動きに中国が神経をとがらせていることが伝わって来る。また、私自身はタクシーで一度も嫌な目には遭わなかったけれど、現地に住む日本人の友人からは、日本人ビジネスマンが酔っぱらってやや大きな声で日本語で喋りながらタクシーに乗ったりすると、運転手さんがわざと大音量でラジオを流し、嫌がらせをする、という話を聞いた。中国のツイッター?微博で、中国人の女の子が「今日、日本人の中年の女性が乗車拒否をされて悲しそうな笑顔を浮かべているのを見た」とつぶやいているのを読んだこともある。今回の私の中国滞在は8日間という短いものだったので乗車拒否に遭わなかっただけで、現地で暮らしていれば1度くらいはそういう目に遭うこともあるのかも知れない。反感和友好相互掺杂的当地氛围当然,也不能说当地完全没有敌意。&例如,在南京的街上,可以看到明亮的房地产的电子广告板上,会时不时地出现“钓鱼岛是中国的领土”等等信息。打开电视机的话,《时事解说》,《今日话题》等节目,会找些有识之士来深入探讨尖阁问题。中国的电视台有很多,各个电视台都争相推出分析尖阁问题的节目,因此,至少1天会看到1次探讨尖阁问题的节目。另外,即使是普通的新闻,也会报道日本的动向——例如,玄叶外相到哪个国家去了,以及说些什么话了;国会议员参拜靖国神社了等等。。。而且还有深入报道美军动向的新闻。这些新闻报道似乎都紧绷着神经把聚光灯全部集中在日本,以及日本背后美国的动向。我自己坐出租车虽然一次也没遇到什么不好的事情,但听本地居住的日本朋友讲:一位日本商人酩酊大醉地在出租车里大声说着日语,出租车司机就故意把收音机的音量开得很大来羞辱他。在中国的微博上,我也读到过一个女孩写的微博:“今天,看到一个日本中年女性面对被拒载,她只能悲哀地苦笑着”。虽然这次我在中国的短短8天没遇到一次被拒载,但在当地生活的日本人多少可能会遭遇1次拒载吧。また、上海の紀伊国屋書店的な大型書店では、店に入ってすぐの、一番目立つ場所に尖閣問題関連の本が山積みされていた。こういうものを見ると日本人は少なからず緊張してしまうけれど、でも、しばらく見ていても立ち読みしている人は全くいなかった。購入している人も、いない。その書店に行く機会が2日間あったけれど、2日間ともいなかった。唯一購入したのは、そう、私(笑)。政府が発行した小冊子と、研究者が書いたもの、2冊を購入してみた。議論や交渉をする時には、まず、相手の主張をよく研究しなければいけないのだから!在上海的纪伊国屋书店里,一进书店,在很显眼的地方就能看见堆得像山一样的与尖阁问题有关的书籍。看到这种景象,不少日本人会感觉内心紧张吧。但是,你再仔细一看,根本没什么人会驻足停留来阅读那些书籍。买这类书籍的人也没有。有2次去这个书店,都没看到有人看这些书和买这些书。唯一购买这些书的人,对了,就是我(笑)。我购买了中国政府发行的小册子,和研究者所写的书。为了和对方争论和交涉,首先必须要详细研究对方的观点!&この2冊、自分でレジへ買いに行こうかどうしようかと思ったけれど、中国人の友人が「万が一何か起こるといけないから」と、奪い取るようにして代わりにレジへ行ってくれた。こんな小さなことにも小さなためらいが生じ、小さな熟考が必要とされる。それが現在の日中関係だという訳だ。我正在思考是否自己把这两本书拿去收银台时,中国朋友说道:“万一出事了可不行”,于是抢过书来,帮我去收银台结账。连这种小事都会让人迟疑,因此再小的事情都需要深思熟虑。这就是现在日中关系。中国人の本音と、その本音をどう汲み取るか以上、私が実際に見聞きしたことを総合して分かることは、上海でも南京でも、尖閣諸島問題に神経を昂ぶらせ、日本に強い反感を持ち、実際に大小の行動に移す人もいる一方、大多数の人は日本人と同じく、大人の対応をしているということだ。 もちろん、日本人が「こうこうこういう理由で尖閣は日本の領土だ」と思っているのと同様に、中国の人もそれと同じくらいの強さで、「こうこうこういう理由で尖閣は中国の領土だ」と思っている。領土問題とはそういうものだろう。また、今回の一連の成り行きについては、「今まで棚上げを原則にして経済上での実利を図って来たのに、今回、日本の方からその状態を破った」と、日中双方に何の利益もない、こんなバカなことを何故わざわざ仕掛けて来たんだ、と呆れている人も多い。でも、目の前にいる日本人を罵ったり、暴力を加えたりはしない。それが大多数の中国人が取っている行動であり、そしてまた、多くの人が心の中で、とにかく戦争だけはごめんだと思っていることも透けて見えて来るのではないだろうか。現在の中国は、文革時代とは違う。全員が同じ意見を持っている訳ではないし、全員が暴力的に振る舞う訳でもない。日本のニュース報道の多くは、何かが起こった時にだけ中国の対日感情を報じる。例えば、「上海の飲み屋で日本人が殴られた」。それは事実だけれど、大部分の日は何も起こっていないこともまた事実だ。両方報道しなければ公平ではないけれど、「今日も何も起こりませんでした」ではニュースにならないから、当然報道はなされない。多くの日本人は、日本のワイドショーや週刊誌、そして時には新聞報道でさえも、かなりテーマの択び方が恣意的であり、ずさんな取材も意外と多いとことに、近年嫌というほど気づかされていると思う。それが、中国報道についてだけは急に正確で公平な取材をしている、と思い込むのは片手落ちというものだろう。日本の中国報道には、或る程度偏りがある。そのことを前提として、今はSNSがこれだけ発達しているのだから、中国現地に住む日本人ビジネスマンや、“本社の意向”から自由なフリー日本人ジャーナリストの生活実感ある発言をもっと追うようにした方がいいと私は思う。私自身も日々そうやって、現地の空気感や情報を収集している。もちろん、中には最近話題の加藤嘉一氏のような怪しい人物も混じっているが、彼の、経歴だけではなく発言の怪しさも、早くから中国ウォッチャーの間では指摘されていた。大手マスコミは見抜けなかったのか、それとも知っていて敢えて起用し続けていたのだろうか?いずれにしろ、この問題一つ取っても、大手マスコミから発信される中国情報だけを追っていては正確ではないし、スピードも遅いことが分かって頂けると思う。そして、日本の報道だけではなく、欧米やアジア各国がどのように尖閣問題を見ているのかも――日本のマスコミによる紹介を通してではなく――自分で直接記事を読みに行った方がいいと、私は思う。本当に、ため息をつきたくなるばかりだけれど、世界は単純ではないことをつくづく思い知らされる。外交は経済とからまり経済は軍事とからまり軍事は外交とからまり合っている。アジア、アメリカ、ヨーロッパの各国は、利益と不利益を複雑に共有し合っている。「外交だけ」「日中間だけ」で解決されるシングル?イシューなど存在しない。今回の旅の間、中国人、日本人の友人と日中関係についてたくさんの話をしたけれど、みんな、どうやってこの問題を改善して行くべきか頭を抱えていた。もちろん、私自身も頭を抱えている。或る友人とは4時間余り話し合ってマラソンでもしたようにへとへとに疲れてしまった。この問題の解決は、本当に難しい。けれど、勇ましい発言やただ危機を叫ぶ発言を繰り返すだけでは何も解決しないことだけは確実だろう。もちろん、中国と戦争をしたいならそれでもいいと思う。領土問題は、双方が自分の主張をそのまま突き詰め合えば、結局戦争で決着をつけるしかないのだから。だけどそれで本当に良いと思う日本人、そして中国人がどれほど存在するのか。私の話した全ての中国人が、戦争はごめんだと言っていた。そしてそれが中国の大多数の人の考えであるとも述べていた。「もしや戦争になるのか」という黒い雲のような不安が、あのデモの時に生まれた、と。もちろん、中には「今すぐ日本と開戦だ」と息巻く鉄砲玉のような人もいるにはいるけれど、それはあくまでも少数派だ。大多数の中国人は、日本のことをあまり、或いはかなり好きではないけれど、戦争だけはごめんだと思っている。この世論の空気感は、実は日本と変わりないのだ。だとしたら一体どうすれば良いのだろうか?中国人的真实想法,以及怎样揣摩这种想法呢?& && & 综合我自己的亲身见闻来看,无论在上海还是南京,虽然有一部分人对尖阁诸岛的问题敏感,对日本抱有强烈的反感;但大多数中国人都和日本人同样,冷静地面对。& && & 日本人会有“这样那样的理由来认为尖阁是日本领土”,同样地,中国人也有“这样那样的理由来认为尖阁是中国的领土”。领土问题历来都是这样的吧。& && &另外,这段时间围绕尖阁问题的一系列动作,许多中国人认为:“至今为止的搁置争议的原则,都是用来谋求经济利益的。但是,这次正是日本打破了这一原则”,“对日中双方都没有任何好处,但是为什么又要故意做这种笨蛋行为呢,看来傻瓜还真是多呀”。但是中国人并没有破口大骂现实中遇到的日本人,也没有实施暴力。这正是大多数中国人的举止,另外在多数人的心中,可以清楚地感受到他们也并不想发生战争。& && & 现在的中国,和文革时代已经不同了。并非所有人都只持有一种观点,也并非所有人都崇尚暴力。日本的新闻报道里,多数中国对日感情的报道,都是在两国发生摩擦事件的情况下报道的。例如,“日本人在上海的酒吧里被殴打”。虽然这是事实,但大部分时间里,日本人在中国什么事都不会发生也是事实。“今天什么事都没有发生”,这种不是新闻,所以自然不需要报道了。& && & 许多日本人都对近些年的日本的专题节目、周刊杂志、以及新闻报道等等胡乱取材,粗编滥造感到厌烦了。那么,有关中国的报道就深信是正确和公平的,不就显得很片面吗。& && & 日本对中国的报道,有某种程度的偏颇。以此为前提发展起来的如今的SNS,我认为其“公司的意向”更应该参照在中国本地居住的日本商人和自由新闻工作者的实际生活感受。我自己就每天都在实地进行信息收集。& && & 当然,其中就有最近的话题人物,如加藤嘉一这样的不可靠的人物混迹其中。并非是说他的经历不可信,而是他的发言不可信。是大众传媒没有看穿他,还是明知道而继续用他呢?& && & 不光是日本的新闻报道,欧美和亚洲其他国家又对尖阁问题抱有怎样的看法呢?——不能仅仅听媒体的介绍——自己还应该直接认真地阅读相关新闻。不禁很想叹口气,深切体会到世界其实很不单纯。外交与经济,经济与军事,军事又与外交,相互纠缠。亚洲、美国、欧洲各国之间的利益及亏损都是相互关联的。根本不是“外交”,“日中之间”简单就能解决的争论。这次旅行,和中国人,还有日本的友人都相互谈了很多关于日中关系的话题,大家都对怎样改善两国关系,感觉非常伤脑筋。当然,我自己也是这样。甚至和其中一个友人讨论了4个多小时,说话都说得精疲力尽了。想要解决这个问题,真的很难。但是,只是一味叫嚣的发言,也确实是无论怎样也解决不了的。& && & 当然,那些希望和中国开战的人,也可以这么想。关于领土问题,双方都持有自己的主张,结果只能通过战争解决。但是,这么想的日本人,和中国人又有多少人存在呢?至少和我交谈的所有中国人,都不希望发生战争。而且,这也是中国大多数人的想法。& && & 当然,其中也有“现在马上和日本开战吧!”抱有这种愤青想法的人存在,但毕竟是少数人。大多数中国人,虽然不一定就对日本有好感,但是都不希望发生战争。这种氛围,其实和日本没什么不同。& && & 那么,究竟该怎么办呢?尖閣問題の落とし所ご紹介したいのは、ふるまいよしこ氏という中国在住の日本人ジャーナリストの方の見立てと意見だ。 私は、必ずしも毎回ふるまい氏と同じ見立て?意見を取る訳ではないのだけれど――それは二人の人間の意見が常に一致する訳などないので当たり前のことだ――今回の尖閣問題衝突の“落とし所”については、下にご紹介するふるまい氏の意見に全面的に賛成する。本当は、この私のブログで同様なことを書こうと思って準備していたのだけれど、先に書かれてしまったらもう蛇足になるだけだし、紹介する方が私もずっと楽でありがたいので、そのまま一部を引用させて頂く。「最近の中国国内報道を読んでいると感じるのは、尖閣「国有化」問題における中国政府の落とし所は「日本に、尖閣をめぐる領土問題が存在することを認める発言をさせること」だと感じている。やっぱり中国政府は、「国有化」が石原購入案後最良の方法だと分かってんのね。」「となると、日本としては「尖閣は日本の固有の領土だ。これは間違いない。中国(と台湾)は異論があるらしいケド」的な文言でごまかせば、事態を早いとこ適当な落とし所に落ち着けたい中国政府は、国内への翻訳を使って「日本がそう言った!」ということを大宣伝して、「勝った!」とか言って終わらせるんじゃないか、という気がする。彼ら、意外に単純だから。」(ブログの全文はこちらで↓)ふるまい氏と同様、私も、かたくなに「領土問題は存在しない」と言い続けるのはもう無理ではないかと思っている。正式に国際司法の場に提訴しなくとも、「我々自身は領土問題は存在しないと思っている。しかしそれを認めてない国があることは認める」という、どちらとも取れるマジカルな文言を作り、お互いが好きなように解釈出来る状態へ持って行く。それが一番賢明な道ではないだろうか。外交とは、それぞれの国がそれぞれの正義を貫くことではなく、少しずつ妥協し合い、共存のための方便を探すことだと私は思っている。その方便をいかに作り出すかというところに、外交の腕の見せどころがあるのではないだろうか?今回の旅を通じて、反発し合っているようでいて、日中の一般市民が望んでいる方向性は一致していると、私は思った。戦争はしたくない。経済の共倒れも困る。自国の面子は守りたい。日中両国は、この三つの意志を共有している。実は両国を見守る周辺諸国の人々だって、三つ目はどうでも良いだろうけれど、前の二つに関しては同意見だろう。「日中関係の根本的な改善」という命題は、あまりにも難しく、道のりははるかに険しい。けれど、今回の尖閣諸島をめぐる衝突なら、落とし所はあるのではないか。街を歩き、人と話し、そのことを確信した今回の旅だった。‥ところで、この旅日記では、まだまだ書きたいことがあるのだけれど、ここまでで既に1万字近く書いてしまったので、もう1回に分けて、前後篇2回ものにしたいと思う。後篇では、「南京大虐殺博物館訪問記」、「南京、不思議な街」、「反日デモで暴れた実働部隊、農民工の怒りの源泉」「反日教育とは何か」といった話題について書きたいと思うので、また読みに来て頂けたらとても嬉しい。ここまで読んで下さった皆様、ありがとうございました。今日は一旦ここで筆を擱きます。尖阁问题的解决方法&&& &&&这里想介绍一位在中国居住的日本记者的观点。虽然不一定我每次都和她有一样的见解——那是因为两个不同的人,意见有所不同是理所当然的——但关于这次尖阁问题的“解决方法”,我全面赞成她的观点。其实,我想在我的博客上,对此观点做全面地介绍。虽然事先介绍,或许让人感觉有画蛇添足的地方,但还是引用一部分吧。& && &“最近看中国国内的新闻,感觉到关于尖阁「国有化」问题,中国政府的解决方案是:「让日本承认尖阁诸岛有领土争议」。果然中国政府清楚,这是解决石原购买案的最好的方法。”& && &“假如日本政府说:「尖阁是日本的固有领土。但中国(和台湾)对此持有不同的观点」,用类似承认争议的两面性话语稍加修饰的话,希望事态早日解决的中国政府,就可以向国内传达:「日本是这样说的!」。这样大肆宣传后,再向国内说声:「我们赢了!」,感觉事情就圆满结束了。他们中国人其实意外地单纯啊。”& & (博客的全文在此↓)http://wanzee.seesaa.net/article/.html#more& && & 我和她同样认为,日本继续强硬地说着:“不存在领土争议”的话,根本无法解决问题。又无法向国际法庭提起诉讼,两国都有各自的辩解方式。只要承认争议,不就是最好的解决方式了吗?我认为,外交并非是各国贯彻自己国家所认为的正义,而是互相妥协,寻找方式相互共存。如何找到方式和平共存,不正是体现了外交的手腕吗?& && & 通过这次旅行,我认为日中普通民众的期望都是同样的:不想发生战争;经济上两败俱伤,大家都难过;都想保护自己国家的脸面。日中两国,在这三方面的想法是同样的。其实注视两国局势演变的周边各国的人们,也对前两点持相同意见吧。& && &“根本性改善日中关系”这个命题,非常的困难,要走的路也非常的崎岖。但是,本次围绕尖阁诸岛的冲突,不是有解决方法吗。走在街上,和人们交谈,这次的旅行让我坚信这一点。& && &。。。话说回来,这篇旅行日记,想写的事情还有很多。到此为止,已经写了1万字左右了,我想把这篇旅行日记分成前后篇2部分完成。后篇的内容想写:“参观南京大屠杀博物馆”、“南京,不可思议的街道”、“反日示威的暴乱,农民工愤怒的源泉”、“什么是反日教育”等等这些话题。各位如果下次再来看我的博客的话,我感觉非常荣幸。& && & 在此,感谢阅读本篇日记的各位。今天就暂时写到这里了。一个日本女人的上海、南京旅行记(前篇)该投稿暂无简介10月中旬,来到上海和南京旅行。 虽然之前就开始计划此次旅行,但是9月中旬正值反日示威爆发,不得已取消了旅程。。。让我倍感消沉。10月中旬,来到上海和南京旅行。 虽然之前就开始计划此次旅行,但是9月中旬正值反日示威爆发,不得已取消了旅程。。。让我倍感消沉。[+展开简介]投1蕉安利给基友官方下载功能反馈本站不提供任何视听上传服务,所有内容均来自视频分享站点所提供的公开引用资源。Copyright (C)
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